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五畿七道

古代日本の律令制における広域地方行政区画
   畿内    東海道    東山道    北陸道
   山陰道    山陽道    南海道    西海道

五畿七道(ごきしちどう)とは、古代日本律令制における、広域地方行政区画である。畿内七道(きないしちどう)とも呼ばれた。

概要編集

元々は、中国で用いられていた行政区分「」に倣った物である。日本における「道」の成立については大化改新以前より存在したとする見方[1]もあるが、五畿七道の原型は天武天皇の時代に成立したと言われている[2]。当初は全国を、都(難波宮、平城宮、平安宮)周辺を畿内五国、それ以外の地域をそれぞれ七道に区分した。

五畿
畿内ともいい、大和山城摂津河内和泉の五国。現在の奈良県、京都府中南部、大阪府、兵庫県南東部を合わせた地域[3]
七道
東海道東山道北陸道山陽道山陰道南海道西海道の七道。地理的な行政区分であるという見方もされるが、地域ごとに独立した行政府がある訳ではないため、国の集合地域区分という見方もされている[4]。畿内から放射状に伸び、所属する国の国府を順に結ぶ駅路の名称でもあった[3]
  • 東海道:現在の茨城、千葉、埼玉、東京、神奈川、山梨、静岡、愛知、三重(熊野地方を除く)の各都県を合わせた地域。
  • 東山道:現在の青森、岩手、秋田、宮城、山形、福島の東北6県と、栃木、群馬、長野、岐阜、滋賀の各県を合わせた地域。
  • 北陸道:現在の新潟、富山、石川、福井の各県を合わせた地域。
  • 山陽道:現在の兵庫県南部と、岡山、広島、山口の各県を合わせた地域。
  • 山陰道:現在の京都府北部と兵庫県北部および、鳥取、島根の各県を合わせた地域。
  • 南海道:現在の香川、徳島、愛媛、高知の四国4県と、三重県熊野地方、和歌山県、淡路島を合わせた地域。
  • 西海道:現在の福岡、佐賀、長崎、大分、宮崎、熊本、鹿児島の九州7県の地域。

七道は都を基準として、東(東海・東山)、西(山陽(・西海))、南(南海)、北(北陸)に放射状に編成されていた(山陰道については西と北の両方の解釈がある)[5]

律令時代からの七道編集

律令時代からの七道は、概ね地形的要件に基づいて区分されているが、西海道以外では道単位での行政機関は常置されなかった。西海道は大陸との外交・防衛上の重要性から大宰府が置かれて諸国を管轄した。七道の中でも最も重視されたのが山陽道であり、駅路では唯一の大路である[6]。七道の各国の国府は、それぞれ同じ名の幹線官道(駅路)で結ばれていた。七道駅路は大路、中路、小路に分けられ[6]、原則として30里(約16キロ)ごとに駅(駅家)を置き、駅ごとに駅馬が常備された[3]。備える馬の数が異なっていた。駅周辺(必ずしも周辺とは限らなかった)に駅長駅子を出す駅戸を置き、駅馬の育養にあたらせた。駅家には往来する人馬の休息・宿泊施設を置き、駅鈴を持っている官人や公文書を伝達する駅使が到着すると乗り継ぎの駅馬や案内の駅子を提供した。各道に派遣された官人は駅路で結ばれた国府を順に巡察した。

これら七道には、江戸時代五街道などと重複する呼称がある。時代や成り立ちが異なるものの、ほぼ同じ道筋にはなっている。

脚注編集

  1. ^ 古い行政区分である「四道」があり、神話上の四道将軍はその由来について解説するために創作されたとされる他、国造制から令制国への移行過程で過渡的に用いられたとする見解などがある(前田晴人『日本古代の道と衢』(吉川弘文館、1996年) ISBN 4642022929)。
  2. ^ 虎尾俊哉『律令国家の地方支配』吉川弘文館、1995年、pp.121-122。ISBN 4642022880
  3. ^ a b c 浅井建爾 2001, p. 84.
  4. ^ 武部健一 2015, p. 45、ただし、西海道だけは大宰府があったため、一定の行政権があった。
  5. ^ 市大樹「律令制下の交通制度」館野和己・出田和久 編『日本古代の交通・流通・情報 1 制度と実態』(吉川弘文館、2016年) ISBN 978-4-642-01728-2 P2-3
  6. ^ a b 浅井建爾 2001, p. 87.

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集