今泉圭姫子

日本の音楽評論家、ディスクジョッキー

今泉 圭姫子(いまいずみ けいこ、1958年昭和33年〉12月8日[1][2] - )は日本音楽評論家ディスクジョッキー。本名および旧活動名義は今泉 恵子(いまいずみ けいこ)。

埼玉県鳩ヶ谷市(現・川口市)出身。愛称はスヌーピー[1]

略歴・人物

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3人姉妹の長女で、血液型はB型[1]、趣味は映画鑑賞で幼少時から水泳を得意とする[1][3]

父親は毎日新聞社の記者で支局へ転勤が多く、3歳で福島県へ転居し、幼稚園も卒園3か月前に転園して卒園証書を受け取っておらず、小学校は4回、中学校は2回転校[1]した。

高校卒業後に、得意な英語の学ぶために東京外語専門学校に進学[4]する。進学後間も無い1977年ラジオ関東全米トップ40』のオーディション参加者募集記事を毎日新聞紙上で見つけ[1]、オーディションに合格する。当時は番組の存在を知っていたがほとんど聴いたことが無く、オーディションで試験の出来も良くなかった[1]1978年4月から『全米トップ40』のアシスタントとして出演を始め、キャリアをスタート。ラジオDJ・パーソナリティを数多く務める一方で、テレビ東京おはようスタジオ』の洋楽コーナー、『ミュージックトマト』(テレビ神奈川)などでテレビにも出演。

DJ・ラジオパーソナリティを務め、ミュージック・ライフなど雑誌へ寄稿、レコード、CDのライナーノーツ執筆、著述など音楽評論家として活動する。氷室京介のソロデビュー時に、チャーリー・セクストンコーディネーターを務めてレコーディングに参加する。1988年に一年間イギリスへ渡り、アーティストインタビュー、雑誌で執筆などのほか、BBCのDJマーク・グッデイアーと『ロンドン・コーリング』(日本ではFM富士で放送)でDJを担当する。各レコード会社のCMのナレーションも務める。近年はシンファイム・ヒョンジュソン・シギョン、Sら韓国アーティストの楽曲の日本語歌詞も担当[5]する。

1997年に番組制作、監修、企画プロデュースなど活動を拡大するため有限会社リフレックス(のちに株式会社リフレックス、2012年にリフレックス・エンターテインメント)を設立し、2006年からフラワーアレンジメントビジネスを始め、ほかにデュラン・デュランベーシストであるジョン・テイラーがアジアで活動する際のマネジメント、イム・ヒョンジュの日本で活動する際のマネジメント、もそれぞれ手掛ける[5]

出演番組

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ラジオ

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テレビ

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楽曲提供

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  • 尾身和樹
    「BE ALIVE」(作詞担当)
    「BIRD」(作詞担当)
  • hiro-C
    「じゃがたわーのうた ユメニムカッテ」(作詞担当)
  • シンファ(日本語詞担当)
  • イム・ヒョンジュ(日本語詞担当)
  • ソン・シギョン(日本語詞担当)
  • S(日本語詞担当)

著書・監修

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  • デュラン・デュラン : プラネット・アースから来た少年たち』〈FM fan presents〉、共同通信社、1987年4月15日。
  • ロンドンわがままチェック(シンコー・ミュージック
  • アイドル・バイブル(シンコー・ミュージック、1997年 監修担当)
  • アイドル・バイブル Vol.2(シンコー・ミュージック、1998年 監修担当)
  • アイドル・バイブル Vol.3(シンコー・ミュージック、2000年 監修担当)
  • 青春のクイーン、永遠のフレディ 元祖ロック少女のがむしゃら突撃伝(シンコー・ミュージック、2023年)
  • ユーロ・ウエイヴ(1995年、エピックレコードジャパン 1980年代のヒット曲のオムニバスCD、監修・構成担当)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 月刊ラジオパラダイス 1986年8月号 63-67ページ「今泉恵子 Radio People Interview」
  2. ^ a b c d DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、30頁。
  3. ^ 月刊ラジオマガジン 1984年1月号 32ページ
  4. ^ DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、30頁。
  5. ^ a b オフィシャルウェブサイトでのプロフィールより。

外部リンク

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