伊那衆(いなしゅう)は、信濃衆ともいわれ戦国時代江戸時代を通して存続した信濃国、もしくは甲斐国の辺境武士団

概要編集

戦国時代編集

伊那谷は小豪族の割拠が続いており、天文13年(1544年)から天文14年(1545年)にかけて高遠合戦武田信玄が攻略をした。武田氏の滅亡により、徳川氏の支配地となる。天正壬午起請文を参照。

江戸時代編集

交代寄合として、江戸幕府に仕えた旗本のうち、知久氏知久則直信濃国阿島・阿島陣屋3,000石)・小笠原氏小笠原長巨、信濃国伊豆木・伊豆木陣屋1,000石)・座光寺氏座光寺為時、信濃国山吹・山吹陣屋1,400石余)の三家を指した。 江戸時代の四衆(那須衆美濃衆・伊那衆・三河衆)の一つ。

大坂夏の陣では三家とも徳川方の松平乗寿に附属し、枚方に帯陣した。長年江戸幕府に仕えたが、慶應4年(1868年)にはいずれも官軍に恭順し、総督軍の先陣に立った。

脚注編集


参考文献編集

  • 長野県史 通史編 第6巻 近世3』
  • 西ヶ谷恭弘・日本城郭史学会編 『国別城郭・陣屋・要害・台場事典』 東京堂出版、2002年。

関連項目編集