厚木氏(あつぎし/あつきし)は鎌倉時代から江戸時代中期の武家清原氏を祖とし、芳賀氏の重臣。後に後北条氏家臣、結城氏家臣。家紋は丸に橘。

厚木氏
家紋
丸に橘
本姓 清原朝臣
家祖 ?
種別 武家地下人医家
平民
出身地 相模国愛甲郡厚木村
主な根拠地 相模国愛甲郡厚木村
武蔵国江戸日本橋
東京都中央区日本橋
著名な人物 厚木淳
凡例 / Category:日本の氏族

都立谷中霊園天王寺墓地に三本のが植えられた、末裔の墓がある。

江戸時代中期より現在の日本橋にて女科(産婦人科)を開設。主な生業とし、現在に至るまで同地に於て、代々医師の旧家として存続している。[1]

なお、1875年明治8年)2月13日に公布された平民苗字必称義務令により、厚木姓が増加したことから、読みを厚木(あつぎ)→(あつき)へと変更している。



主な武将編集

主な末裔編集

 
大日本帝国海軍 厚木式簡易間接輸血器





家訓編集

  • 「嫡男は起倒流の体術に精励すべし」[5]

脚注編集

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  1. ^ 神奈川県厚木市教育委員会より、厚木朝高後裔である旨の通知。及び厚木家 家臣団末裔が厚木斎陽を訪問。なお、そもそも存在した室町後期からの家系図、武具等資料は下谷厚木家に保存されていたが東京大空襲により焼失した
  2. ^ 斎陽の祖父、厚木万次郎(1899年 明治32年没 行年30歳)による口伝
  3. ^ 一般社団法人東京産婦人科医会 TAOGニュース 2017年4月号
  4. ^ http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/20141212/1418339934 翻訳家交遊録3(戸川安宣 執筆)
  5. ^ 東京産婦人科医会報寄稿 「趣味は健康法」5ページ 20行目

参考文献編集

外部リンク編集