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受田 新吉(うけだ しんきち、1910年 5月18日1979年 9月21日)は、元民社党衆議院議員(当選12回)。山口県大島郡大島町(現周防大島町)出身。日本大学法科卒業。青年学校長、中学校校長、山口県教職員組合副委員長を経て政界入り。無所属、日本社会党(左右分裂時は右派社会党)を経て民社党結成に参加し、党中央執行委員や国会議員団長を務めた。

経歴編集

後継編集

  • 1979年 体調を崩し、声が出なくなる病に倒れたため引退を表明し、後継者に元受田秘書で山口県議会議員の部谷孝之を指名。部谷は衆議院議員に当選して受田の議席を継承することに成功したが、その姿を見ることなく受田は死去した。
  • 部谷は衆議院議員を2期務めたが1983年、1986年と連続落選。1990年は受田と同じ周防大島町出身の元読売新聞政治部次長安広欣記が民社党公認で立候補したが落選。民社党の灯は消えた。

人柄・家族・秘書編集

  • 自他共に認める「大衆政治家」で、厚い個人票に支えられて落選知らずだった。
  • 選挙巧者でも知られ、東京から地元に帰るときも選挙区(旧山口2区)の入り口の岩国駅特急からわざわざ各駅停車に乗り換え、相席になった人に「衆議院議員の受田です」とあいさつして気さくに話し込み、ファンを増やすほどだった。
  • 実弟の受田兵吉は大島町議を長く務めた。元秘書の王田威博も県議選大島郡区で敗れるも、大島町議を2期務めた。