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口羽 元智(くちば もととも)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将毛利氏家臣で長州藩士。父は毛利氏重臣の口羽春良。祖父は口羽通良

 
口羽元智
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 不詳
死没 寛永3年4月10日1626年5月5日
別名 通称:久三郎、又兵衛、主殿
主君 毛利輝元秀就
長州藩
氏族 大江姓毛利氏庶流口羽氏
父母 父:口羽春良
兄弟 元良元智元武和智元経
女(山内広通室)
養子:元衡(兄・元良の次男)
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生涯編集

毛利氏の重臣である口羽春良の次男として生まれる。天正17年(1589年12月20日毛利輝元加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられて「元智」と名乗った。

天正20年(1592年)4月から始まる文禄の役では、父の春良と従兄弟の通平が輝元に従って朝鮮へ渡海したが、慣れない朝鮮の風土から病にかかる者が続出。同年10月11日に春良が開寧の陣中で病死し[1]文禄2年(1593年3月9日には通平も死去した。父・春良の死によって、文禄3年(1594年9月9日に元智は父の所領1000石の内、石見国邑智郡出羽の高見村250石と雪田200石、出雲国大原郡阿用の内の50石、合計500石を相続することを輝元から認められる。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、毛利氏の防長転封に従って長門国へ移り住んだ。慶長19年(1614年8月12日に通平の子・元通が嗣子のいないまま江戸で病死したため、元通の所領も元智に与えられ、長門国美祢郡伊佐村329石と周防国玖珂郡久原村121石の合計450石の地を領することとなる。

寛永3年(1626年4月10日に死去[2]。兄・元良の次男である元衡が後を継いだ。

脚注編集

  1. ^ 『毛利輝元卿伝』p.479。
  2. ^ なお、元智の死の6日前である寛永3年(1626年)4月4日には、元智の兄・元良の嫡男である口羽元延も死去している。

参考文献編集