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城多 二郎(しろた じろう、1902年 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4]。本名は城田 二郎(読み同じ)[1][2][3]鈴木傳明ら二枚目俳優が松竹蒲田撮影所を退社するに伴い、同撮影所に入社して主演も務めていたが、短命に終わった[3][4]。身長は5尺7寸(約172.7センチメートル)、体重は18貫(約67.5キログラム)である[3]

しろた じろう
城多 二郎
本名 城田 二郎(しろた じろう)
生年月日 1902年
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市豊多摩郡千駄ヶ谷町(現在の東京都渋谷区
身長 172.7cm
職業 俳優
ジャンル 劇映画現代劇サウンド版サイレント映画トーキー
活動期間 1931年 - 1936年
主な作品
春は御婦人から
光輝満州国
都会の感傷
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来歴・人物編集

1902年(明治35年)、東京府東京市豊多摩郡千駄ヶ谷町(現在の東京都渋谷区)に生まれる[1][2][3][4]

慶應義塾大学の学生時代、身長173cm・体重67.5kgという体格に恵まれてスポーツマンとしてならし、特に水泳をよくし、柔道も四段であった[1][2][3][4]。この事から「ジロマン」と仇名され、東京三田銀座界隈ではその名は恐怖の対象だったという[1][3][4]。卒業後、帝國生命保險會社(現在の朝日生命保険)大阪支社の実業方面に勤務していたが、1931年(昭和6年)9月岡田時彦鈴木傳明高田稔らを誘って不二映画社に参加するに及び、松竹では、江川宇礼雄清水将夫らを格上げしたりしている中で、城多は近藤伊与吉(1894年 - 1944年)の紹介により同年10月1日松竹蒲田撮影所へ幹部俳優として入社[1][2][3][4]。同年、退社直前の高田稔主演映画『青春図会』で映画デビューを果たす[1][2][3][4]。また、城多は1932年(昭和7年)7月30日に開催されたロサンゼルスオリンピックを見学したという記録が残っている[3]

以後、小津安二郎監督映画『春は御婦人から』、石川和雄監督映画『光輝満州国』などに主演を務めたが、演技が未熟なせいかなかなか人気は得られず、1934年(昭和9年)公開の勝浦仙太郎監督映画『都会の感傷』を最後に同撮影所を退社してフリーとなる[1][2][4]。しかし、1936年(昭和11年)に公開された山根幹人監督のトーキー映画戦線に吠ゆ』以降の出演作品が見当たず、以後の消息は明らかになっていない[4]没年不詳

出演作品編集

松竹蒲田撮影所編集

特筆以外、全て製作は「松竹蒲田撮影所」、配給は「松竹」、特筆以外は全てサイレント映画である。

フリーランス編集

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、283頁。
  2. ^ a b c d e f g 『芸能人物事典 明治大正昭和』 日外アソシエーツ、1998年、298頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』映画世界社、1934年、143頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 『日本映画美男俳優 戦前編』 ワイズ出版、2014年。
  5. ^ 日本映画データベースでは城戸二郎

外部リンク編集