大島 友治(おおしま ともじ、1916年10月2日 - 1999年4月19日)は、日本の政治家自由民主党参議院議員栃木県出身。

大島 友治
おおしま ともじ
生年月日 1916年10月2日
出生地 日本の旗 栃木県
没年月日 (1999-04-19) 1999年4月19日(82歳没)
出身校 京都帝国大学農学部
前職 地方公務員栃木県庁
所属政党 自由民主党
称号 勲一等瑞宝章

内閣 第2次海部内閣
在任期間 1990年2月28日 - 1990年12月29日

選挙区 栃木県選挙区
当選回数 3回
在任期間 1974年7月8日 - 1992年7月9日
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来歴・人物

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1941年京都帝国大学農学部卒業後、栃木県庁に入庁。教育次長、農務部長などを歴任した後、1974年の参院選に自民党公認で栃木選挙区から出馬し初当選。連続当選3回。党内では中曽根康弘渡辺美智雄派に所属。派内では同郷の渡辺に近い存在だった。

1977年科学技術政務次官(福田赳夫内閣)、参議院文教委員長、参議院内閣委員長などを経て[1]1990年2月第2次海部内閣科学技術庁長官として初入閣。同年の12月まで務めた。1992年勲一等瑞宝章受章。同年政界引退。地盤は栃木県議会議員を務めていた矢野哲朗が引き継いだ。

1999年4月19日、呼吸不全のため死去。享年84(82歳没)。

脚注

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公職
先代
斎藤栄三郎
  科学技術庁長官
第45代:1990年
次代
山東昭子
先代
斎藤栄三郎
  総理府原子力委員会委員長
第45代:1990年
次代
山東昭子
議会
先代
高平公友
  参議院内閣委員長
1984年 - 1985年
次代
亀長友義
先代
望月邦夫
  参議院文教委員長
1979年 - 1980年
次代
降矢敬義