大桐(だいどう)は、大阪府大阪市東淀川区地名。旧地名は大道(だいどう)であり、時代を遡れば、西成郡大道村、さらに乳牛牧荘大道村などとも呼ばれていた[5][6]。現行行政地名は大桐一丁目から大桐五丁目。

大桐
だいどう豊里駅 1号出入口
だいどう豊里駅 1号出入口
大桐の位置(大阪市内)
大桐
大桐
大桐の位置
大桐の位置(大阪府内)
大桐
大桐
大桐 (大阪府)
北緯34度44分55.51秒 東経135度32分54.99秒 / 北緯34.7487528度 東経135.5486083度 / 34.7487528; 135.5486083
日本の旗 日本
都道府県 大阪府
市町村 大阪市
東淀川区
町名制定 1980年(昭和55年)
面積
 • 合計 0.821910837 km2
人口
2019年(平成31年)3月31日現在)[2]
 • 合計 11,836人
 • 密度 14,000人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
533-0011[3]
市外局番 06(大阪MA[4]
ナンバープレート なにわ

地勢 編集

東淀川区の南東部に位置する。淀川神崎川の分岐部に近く、両河川に挟まれた一帯の南東部に当たる。東側が淀川で、北側に瑞光(ずいこう)、西側に大隅(おおすみ)と豊里(とよさと)、南側に大道南(だいどうみなみ)と接している。大道南は南東側で淀川と接している。最寄り駅は、阪急京都本線上新庄駅Osaka Metro今里筋線だいどう豊里駅または瑞光四丁目駅である。豊里大橋を渡り、淀川を超えると、京阪本線滝井駅土居駅も比較的近い (3-4km)。

歴史 編集

縄文土器が発見されていることから、この地には縄文時代から人が生活していることが分かっている[7][8]。『続日本紀』に記載のある「大隅媛島二牧」は、『日本書紀』「安閑二年条」では「大隅島媛島」と表現されており、島がとして利用されていたことが窺える。大隅島は、『摂津志』が大隅宮を「在西大道村」と比定して以来[9]、吹田砂堆の中央部がこれに当たると考えられてきた。西大道村は旧名を大隅・大内・三宝寺と呼称したとされるため、これに従えば神崎川と淀川で区切られた砂堆を「島」と呼んでいたことになる[10]

また、中世には三宝寺という寺院が存在していたと考えられている[11]12世紀末に大日房能忍達磨宗宗)を弘通するために創建した寺院で広大な伽藍を有した。16世紀半ばに周辺が戦場となったため寺が廃絶したと考えられているが、明確な経緯は不明である。

中世以降、この地は乳牛牧荘と呼ばれ大道村(南大道村)、三宝寺村(西大道村)、辻堂村(北大道村)などがあった[12]。また。大桐5丁目の大隅神社境内にある石碑には以下のような文章が記載されている。

摂州西成郡北中嶋之内、乳牛牧の荘とも呼ばれたこの地域に大道村・辻堂村・三宝寺村があり、これら3村の氏神として賀茂大明神・稲荷神・山王神を三社相殿(本社)に、祇園・伊勢・春日・八幡・天神を五神相殿(末社)に祀り、賀茂大明神社の境内にあった真言宗無本寺の僧が祭祀を兼帯し、上記3村は南大道村・北大道村・西大道村とも呼ばれ、まとめて三大道と称されました。慶長12年、無本寺は三大院と改め、真言・禅宗の社僧は法祐坊から全良和尚まで8代続きました。貞享3年、玄光和尚は大道寺と改め、三世雲門和尚は竹凉菴を起こし、修行僧は100人を超すときもあり、禅修行と神社の維持・祭祀を受け継いできました。(乳牛山大道寺年譜参照) 大道寺十三世のとき明治維新を迎え、大道寺・竹凉菴を廃し明治6年、賀茂大明神社は大隅神社と改められました。此碑より北50メートルの飛地に大道寺の墓地が現存します。

江戸時代における日本全国の村落の実情を把握するために、明治時代初期に政府が各府県に作成させた『旧高旧領取調帳』(きゅうだかきゅうりょうとりしらべちょう)によると、

摂津国 西成郡 南大道村と西大道村は、仙石松渓知行所 大阪府
摂津国 西成郡 北大道村は、土井大炊頭(古河藩)領分 古河県

となっており、村によって領主が異なっていた。

  • 1889年(明治22年)町村制施行に伴い西大道村、南大道村、北大道村の3村が合併し西成郡大道村が成立[13]。旧村はそのまま大字となり大道村大字西大道、大字南大道、大字北大道となる[14]
  • 1925年(大正14年)東淀川区が発足し大阪市に編入、西大道・南大道・北大道が町名となる[14]
  • 1934年(昭和9年)西大道町、南大道町、北大道町などの各一部が大隅通に改称[15]
  • 1951年(昭和26年)西大道町、南大道町、北大道町、大隅通などの各一部が東大道町に改称[16]
  • 1980年(昭和55年)北大道町、東大道町および西大道町・大隅通の一部が大桐1 - 5丁目に改称。また南大道町ほかが大道南に改称された[14]

世帯数と人口 編集

2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
大桐一丁目 845世帯 1,587人
大桐二丁目 1,402世帯 2,440人
大桐三丁目 1,109世帯 1,955人
大桐四丁目 1,483世帯 3,597人
大桐五丁目 1,097世帯 2,257人
5,936世帯 11,836人

人口の変遷 編集

国勢調査による人口の推移。

1995年(平成7年) 11,709人 [17]
2000年(平成12年) 11,372人 [18]
2005年(平成17年) 10,477人 [19]
2010年(平成22年) 11,656人 [20]
2015年(平成27年) 11,989人 [21]

世帯数の変遷 編集

国勢調査による世帯数の推移。

1995年(平成7年) 4,839世帯 [17]
2000年(平成12年) 4,856世帯 [18]
2005年(平成17年) 4,843世帯 [19]
2010年(平成22年) 5,315世帯 [20]
2015年(平成27年) 5,444世帯 [21]

事業所 編集

2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[22]

丁目 事業所数 従業員数
大桐一丁目 58事業所 363人
大桐二丁目 84事業所 601人
大桐三丁目 56事業所 234人
大桐四丁目 34事業所 425人
大桐五丁目 25事業所 148人
257事業所 1,771人

教育機関 編集

1964年(昭和39年)に、大阪市立大隅小学校(現:大阪市立大隅西小学校および大阪市立大隅東小学校)から独立する形で開校。
1976年(昭和51年)に開校。従来大阪市立瑞光中学校に進学していた大桐小学校出身者の進学先となる。
大隅キャンパスの多くは大隅に立地するが一部大桐にも校舎がある。同大学70周年記念館(大桐2丁目)前塀に大阪市による三宝寺跡伝承地顕彰パネルが設置されており、伝承地発掘調査では寺院の遺物以外に縄文土器も発見されている[7]

交通機関 編集

2007年に今里筋線が開通する以前は、阪急京都本線上新庄駅が最寄りであった。

主な施設 編集

  • ベリスタ東淀川大桐
淀川沿いに建設された大規模マンション。
春と秋に大祭が催される
  • 稲生神社(3丁目)
1185年の屋島の戦いで敗れた平氏の武者がこの地に住みつき創建したと伝えられている
  • 乳牛牧跡[5]

出身有名人 編集

その他 編集

日本郵便 編集

参考文献・出典 編集

  1. ^ 大阪府大阪市東淀川区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年10月20日閲覧。
  2. ^ a b 住民基本台帳人口・外国人人口”. 大阪市 (2019年7月26日). 2019年10月4日閲覧。
  3. ^ a b 大桐の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ a b 大阪市東淀川区:東淀川区の名所・旧跡 (区の名所・旧跡)乳牛牧跡 (osaka.lg.jp)
  6. ^ 井上正雄『大阪府全志』 巻之三、大阪府全志発行所、1922年、400頁https://dl.ndl.go.jp/pid/965800/1/228 
  7. ^ a b 三宝寺跡伝承地(東淀川区)出土の縄文土器と寺院関係遺物 - 大阪歴史博物館
  8. ^ 大阪市博物館協会大阪文化財研究所(編)『三宝寺跡伝承地D地点発掘調査報告』大阪市博物館協会大阪文化財研究所、2013年[1]
  9. ^ 並河永著、正宗敦夫編纂校訂「日本輿地通志畿内部卷第五十二 攝津國之四 西成郡(攝津志)」『五畿内志』 下卷、日本古典全集刊行会〈日本古典全集〉、1930年、538頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1179444/1/92 
  10. ^ 阪田育功・辻本武(編)『崇禅寺遺跡』(大阪府埋蔵文化財調査報告 2002-4)大阪府教育委員会、2003年、p.2 [2]
  11. ^ 西岡秀爾「摂津中嶋三宝寺とその周辺」『印度學佛教學研究』 2007年 55巻 2号 p.1007-1004,1288, doi:10.4259/ibk.55.1007 日本印度学仏教学会
  12. ^ 井上正雄『大阪府全志』 巻之三、大阪府全志発行所、1922年、397-401頁https://dl.ndl.go.jp/pid/965800/1/226 
  13. ^ 井上正雄『大阪府全志』 巻之三、大阪府全志発行所、1922年、396-397頁https://dl.ndl.go.jp/pid/965800/1/226 
  14. ^ a b c 角川日本地名大辞典 27-1 大阪府 総説・地名編』角川学芸出版、2009年、p.699
  15. ^ 角川日本地名大辞典 27-1 大阪府 総説・地名編』角川学芸出版、2009年、p.234
  16. ^ 角川日本地名大辞典 27-1 大阪府 総説・地名編』角川学芸出版、2009年、p.1020
  17. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  18. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  19. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  20. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  21. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  22. ^ 平成28年経済センサス-活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  23. ^ 大阪市東淀川区:神社・仏閣 (区の紹介スポット、史跡・文化財)大隅神社 (osaka.lg.jp)
  24. ^ 郵便番号簿 2019年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年11月4日閲覧。