大田原清信
大田原 清信(おおたわら きよのぶ)は、下野大田原藩の第6代藩主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 天和元年(1681年) |
死没 | 元禄15年11月24日(1703年1月11日) |
改名 | 勘蔵(幼名)→清信 |
戒名 | 乾徳院殿撫山清育大居士 |
墓所 | 東京都港区高輪の泉岳寺 |
官位 | 従五位下、備前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下野大田原藩主 |
氏族 | 織田氏→大田原氏 |
父母 |
父:織田吉清、養母:朽木稙昌の娘 養父:大田原純清 |
妻 | 正室:松平昌勝の娘 |
子 | 養子:扶清 |
生涯
編集天和元年(1681年)、織田吉清(第2代藩主・大田原政清の三男)の長男として生まれる。元禄12年(1699年)に第5代藩主・純清が死去したため、その養子として家督を継いだ。12月28日に従五位下・備前守に叙位・任官する。
元禄15年(1702年)11月24日に死去した。享年22。跡を従弟の扶清が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 松平昌勝の娘
子女