宮本竹逕
宮本 竹逕(みやもと ちくけい、1912年9月25日 - 2002年10月7日)は、日本の書家、かな書家。
広島県福山市赤坂町出身。本名は宮本顕一(みやもとけんいち)。
日展参事・読売書法会顧問・日本書芸院名誉顧問・日本かな書道会顧問・寒玉書道会会長・歌会始召人などを歴任。日本芸術院賞・日展文部大臣賞・日展特選・勲四等旭日小綬章・紺綬褒章などを受賞・受章。社団法人日本書芸院・社団法人日本かな書道会・読売書法会・寒玉書道会を創立。
人物
編集戦後を代表する仮名作家の一人である[要出典]。
生涯
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1933年、広島県師範学校卒業。1939年、文部省検定試験合格(中等学校習字科)。
1942年、竹逕(ちくけい)と号す。194年、社団法人日本書芸院創立(理事長を経て常任顧問)。1948年、日展に第五科が新設され入選、毎日書道展運営委員(審議委員を経て理事)。
1950年、第6回日展特選受賞。1955年、第11回日展委嘱。1957年、第13回日展審査員。1959年、朝日新聞社主催 書道二十人展に出品(昭和50年を除き毎年出品)。1961年、日本書道代表団員として中国訪問。
1962年、日展評議員に就任。1963年、米国巡回書道展に出品。1965年、東南アジア巡回書道展に出品、香港書道展に出品。
1967年、第10回日展文部大臣賞受賞。1968年、個展開催(三越画廊)。1971年、中京大学文学部教授に就任、個展(巻子本を主として)開催(三越画廊)。1973年、日本芸術院賞受賞[1] (作品は日本芸術院買い上げ)。
1975年、日展理事に就任。1976年、社団法人日本かな書道会創立、理事長に就任、中京大学文学部教授を辞任、個展(民謡を主題に)開催(朝日画廊)。1980年、東大寺へ華厳経を奉納。1981年、日展常務理事に就任、毎日書道展理事を辞退。
1982年、信州新町美術館に作品を寄贈、これにより紺綬褒章受章、田中美術館に作品を寄贈、『帖』の個展開催。
1983年、最高裁判所長官室に掲げる作品を寄贈、成田山新勝寺大塔建立記念献書。1984年、日本書道巨匠展に出品。アメリカ、イタリア、ドイツを巡回、読売書法会創立、総務に就任、身延山久遠寺に作品2点を寄贈、勲四等旭日小綬章受章、「宮本竹逕100帖展」を朝日新聞社主催で開催。
1985年、宮本竹逕作品集 宮本竹逕筆一二五帖(平安時代の勅撰八代歌集全巻、三十六歌集、小倉百人一首、芭蕉全句集、近代俳句集、民謡等)が東京国立博物館に収蔵される(これにより紺綬褒章受章)、佐久市立近代美術館に作品3点を寄贈、アメリカ議会図書館に百人一首六曲屏風一双を寄贈、広島県立美術館に作品6点を寄贈。
1986年、歌会始の召人に選ばれる。1999年、米寿記念 宮本竹逕 平家物語を書く展、『平家物語』が厳島神社に奉納される。
作品リスト
編集- 書道技法講座4 かな 関戸本古今集(1969年 二玄社)(2009年 改訂版書道技法講座20)
- 宮本竹逕書法現代日本書法集成(1977年 尚学図書)
- 入門毎日書道講座5(共著)(1977年 毎日新聞社)
- 宮本竹逕書作展 民謡を主題に(図録)(1979年 寒玉書道会)
- 宮本竹逕民謡百筆(1981年 講談社)
- 竹逕大字かな帖(1981年 書道新聞社)
- 宮本竹逕作品集成(1983年 講談社)
- 大字仮名技法(1984年 二玄社)
- 寒玉帖 全5巻(1984年 書道新聞社)
- かなを語る(1985年 美術公論社)
- 大慈大悲西国三十三所観音衆成(共著)(1986年 講談社)
- かなの風景 線と造形(1991年 芸術新聞社)
- 卒寿記念(図録)(1992年 贅交社)
- 現代臨書大系(第8巻)愛蔵版)(1998年 小学館)