小葉田 淳(こばた あつし、1905年4月24日 - 2001年8月8日)は、日本歴史学者(専攻は貨幣史・鉱山史・貿易史)。京都帝国大学名誉教授日本学士院賞受賞者、学士院会員文化功労者

小葉田 淳
人物情報
生誕 (1905-04-24) 1905年4月24日
日本の旗 日本福井県
死没 2001年8月8日(2001-08-08)(96歳)
出身校 京都帝国大学
学問
研究分野 歴史学
研究機関 台北帝国大学京都大学龍谷大学京都女子大学住友史料館
学位 文学博士
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経歴 編集

1905年、福井県坂井郡丸岡町(現在の坂井市)生まれ。1922年に福井中学校(現:福井県立藤島高等学校)、1925年に第四高等学校を卒業した[1]。その後は京都帝国大学文学部史学科に進んだ[2]。卒業論文「貨幣流通の發展」をまとめ[3]1928年に卒業[4]

卒業後は、堺市史編纂部嘱託となった。1930年台北帝国大学文政学部講師に着任[5]。後に同大学助教授に昇進[6]。1944年に応召し、陸軍中尉に至った。戦後も1946年まで国立台湾大学副教授として同地にとどまったが、同年中に帰国した。

帰国後は東京文理科大学文学部および京都大学文学部講師となった。1947年、学位論文『中世日支通交貿易史の研究』を京都帝国大学に提出して文学博士号を取得[7]。1949年、京都大学文学部教授に昇進。1969年に京都大学を定年退官して名誉教授となった。その後は龍谷大学文学部教授として教鞭をとった。1971年に龍谷大学を退職して京都女子大学教授、1981年からは財団法人冷泉家時雨亭文庫常任理事、1987年からは住友史料館館長をつとめた。2001年、急性循環器不全のため96歳で死去した。1976年に学士院会員に選出された。

蔵書約2万点が坂井市立丸岡図書館に寄贈され、2004年より「小葉田淳記念文庫」として一般公開されている[8]

受賞・栄典 編集

研究内容・業績 編集

  • 歴史学のうち、人や物の交易に関心を持って研究を進めた。貨幣史鉱山史外交貿易交通史など、それまで検討が充分になされていなかった新しい分野に取り組み成果を上げた。
  • 自身の教え子に日本史学者の田中圭一がいる。

著書 編集

  • 『日本貨幣流通史』刀江書院 1930年
  • 『中世南島通交貿易史の研究』日本評論社 1939年
  • 『中世日支通交貿易史の研究』刀江書院 1941年
  • 『史説日本と南支那』野田書房 1942年
  • 『海南島史』東都書房台北支店 1943年
  • 『日本と金銀島』創元社 1943年
  • 『鉱山の歴史』至文堂 1956年
  • 『日本の貨幣』至文堂 1958年
  • 『日本鉱山史の研究』岩波書店 1968年
  • 『金銀貿易史の研究』法政大学出版局 1976年
  • 『日本経済史の研究』思文閣出版 1978年
  • 『続日本鉱山史の研究』岩波書店 1986年
  • 『日本銅鉱業史の研究』思文閣出版 1993年
  • 『史林談叢 史学研究60年の回想』臨川書店 1993年
  • 『貨幣と鉱山』思文閣出版 1999年
  • 『想い出の記 引揚を経験した一歴史家の足跡』私家版 1999年

回想 編集

  • 『東方学回想 Ⅷ 学問の思い出〈3〉』東方学会編、刀水書房、2000年 - 座談での回想を収録

参考文献 編集

  • 藤井譲治「恩師歴訪 明治生れの史家点描(15)小葉田淳先生 日本鉱山史の開拓者」『歴史研究』第279号、新人物往来社、1984年、14-19頁、ISSN 0287-5403 

脚注 編集

  1. ^ 『官報』第3782号、大正14年4月4日、p.97
  2. ^ 『京都帝国大学一覧 自大正14年至大正15年』京都帝国大学、1926年、432-433頁。NDLJP:940189/223 
  3. ^ 署名無し「彙報 昭和3年卒業論文題目」『史林』第13巻第3号、史学研究会、1928年、160頁、NAID 120006815193 
  4. ^ 『官報』第394号、昭和3年4月24日、p.615
  5. ^ 『台北帝国大学一覧 昭和5年』台北帝国大学、1930年8月、111頁。NDLJP:1447911/72 
  6. ^ 『台北帝国大学一覧 昭和6年』台北帝国大学、1931年6月、115頁。NDLJP:1447915/65 
  7. ^ 書誌事項(CiNii Dissertations)”. 国立情報学研究所. 2017年5月3日閲覧。
  8. ^ 小葉田淳記念文庫”. 坂井市立図書館. 2017年5月3日閲覧。

外部リンク 編集