山中造船
山中造船株式会社(やまなかぞうせん、英: Yamanaka Shipbuilding Co., Ltd.)は日本の造船メーカーである。
本社・工場 | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒794-2112 愛媛県今治市吉海町本庄951番地5 |
設立 |
1967年(昭和42年)12月 創業 1951年(昭和26年)5月 |
業種 | 輸送用機器 |
法人番号 | 7500001012499 |
事業内容 | 船舶の建造・修繕 |
代表者 | 代表取締役社長 浅海真一 |
資本金 | 9000万円 |
売上高 | 74億4000万円(2013年3月期)[1] |
従業員数 | 47名 |
決算期 | 3月 |
外部リンク | http://www.yamanaka-zousen.co.jp/ |
概要
編集独立系の中堅造船メーカー。内航貨物船の建造を主力としている。
1998年(平成10年)に「エラ型船」と称する貨物倉の内容積を確保しつつ低燃費,航行速力を向上させる船体形状を特許(特許第2841171号)を取得している。
2001年(平成13年)に大手造船メーカが建造した船舶が受賞作品として名を連ねるなか,同社が建造したRoRo貨物船「泉翔(744 G/T)」が日本造船学会(現日本船舶海洋工学会)のShip of the Year '00を受賞している。
また,2005年(平成17年)に楢崎造船と内航貨物船建造に関する業務提携を結んでいる。
2014年3月に今治市の大島の塩田跡地に従来の約2.5倍の敷地面積となる新工場を建設し、本社・工場を今治市波方町から移転した[2]。
沿革
編集- 明治初期に愛媛県今治市波方町大浦において造船業・海運業を創業。
- 1903年 - 浅海辰次が波止浜船渠(新来島どっくの前身)役員に就任し家業の造船業を廃業。
- 1920年 - 波止浜船渠の解散となり退職し海運業に専念。
- 1943年 - 持船2隻が軍に徴用される。
- 1944年 - 持船2隻が北ボルネオ海で空襲にあい沈没、海運業を廃業。
- 1951年5月 - 浅海慶利が木船および木鉄船の建造修理業を再開。
- 1962年1月 - 499G/T型鋼船の建造開始。
- 1967年12月 - 「山中造船株式会社」設立。
- 1988年 - CADを導入。コンピュータによる設計を開始。
- 1993年 - CAD、NCプラズマ切断機を導入。
- 1994年 - 山中標準船2タイプ開発、販売。
- 1997年 - 山中新標準船開発、販売。
- 1998年 - 「エラ船型」の特許(特許第2841171号「貨物船における船体構造」)を取得。
- 2000年4月 - 2号船台を3,030G/Tに拡張。
- 2010年11月 - 先進二酸化炭素低減化船開発、販売。
- 2014年3月 - 本社・工場を今治市吉海町に移転。
主要建造船
編集脚注
編集- ^ 山中造船、愛媛・大島に新造船所 大型化に対応 - 日本経済新聞(2013年6月5日)、2014年3月31日閲覧。
- ^ 山中造船が今治・大島に新工場 - 愛媛新聞(2014年3月10日)、2014年3月31日閲覧。
- ^ STU48号、「ステージ」の役目終える。C to seaに寄与。劇場船としての魅力発信に貢献 - 日本海事新聞電子版(2020年7月14日)、2021年1月17日閲覧。
- ^ シップ・オブ・ザ・イヤー00/山中造船建造「泉翔」に決定 - 日本海事新聞電子版(2001年4月27日)、2021年1月17日閲覧。