山田 三郎(やまだ さぶろう、1927年昭和2年)3月7日[1] - 2010年平成22年)2月19日[2])は、日本政治家埼玉県富士見市の第2代市長(在任1972年 - 1988年)。

経歴 編集

栃木県出身[1]海軍通信学校を卒業し、さらに京北実業(のち東洋大学京北高等学校)を卒業した[1]。外車輸入会社、事務機器販売店を経営した[1]

富士見市長 編集

富士見市は、1972年に市制を施行。同時に行われた市長選挙で、地主出身であり、保守無所属である長根進午が当選。しかし、長根当選に当たり、贈収賄行為があったことが発覚し、長根はすぐに辞任。出直し選挙で、日本社会党公明党日本共産党が推す山田が、折からの革新自治体ブームに乗り、当選。1980年に実施された市長選挙では、返り咲きを狙う長根を退け、「誰も太刀打ちできない」状態で3選を果たした。社会教育施設を積極的に建設するなど、革新自治体が得意とする福祉政策を推進した。

が、サラリーマン新党などの推薦も取り付けて4選を果たした1984年頃から工業団地造成を巡る贈収賄の噂が浮上。1988年市長選挙では、公明党が自由民主党候補推薦に回り、落選。山田は、新座警察署留置され、取調べを受けた後、政界を引退した[要出典]山田を支持してきた市職員労働組合の幹部は、教育委員会管理職を外され、ゴミ収集に回されるなどの報復人事が行われた[要出典]

収賄事件 編集

1987年、市長在職中の山田は、市内の竹ノ内工業団地の建設をめぐって、団地組合理事長から100万円を受け取り、補助金交付などに絡んで組合に便宜をはかり、翌1988年には、さらに100万円を受け取った[3]。市長選落選後、山田はこの件で警察の取り調べを受け、1988年10月12日に逮捕された[4]

公判において山田は、受け取った資金は、政治献金であったと主張したが、1997年5月20日の一審判決は賄賂性を認定して山田を有罪とし[5]、最終的には2001年9月に最高裁が山田の上告を棄却し、山田は懲役二年、執行猶予三年、追徴金二百万円が確定した[3]

脚注 編集

  1. ^ a b c d 『現代政治家人名事典』475頁。
  2. ^ “山田三郎氏(元富士見市長)死去”. 読売新聞・東京朝刊・埼玉南: p. 33. (2010年2月21日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  3. ^ a b “富士見の汚職 元市長の有罪確定 贈賄側の元団地組合理事長も”. 読売新聞・東京朝刊・埼玉南: p. 32. (2001年9月13日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  4. ^ “工業団地建設をめぐる収賄の前富士見市長を逮捕/埼玉県警”. 読売新聞・東京朝刊: p. 31. (1988年10月13日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  5. ^ “竹ノ内工業団地建設汚職事件 前富士見市長に有罪/浦和地裁川越支部”. 読売新聞・東京夕刊: p. 18. (1987年5月20日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧

参考文献 編集

  • 『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。