帯一郎
日本の俳優
帯 一郎(たて いちろう[1][2][注釈 1]、生没年不詳)は、日本の元俳優である[1][2][3][4]。本名は帶刀 繁隆(たてわき しげたか)[3][4]。趣味はパチンコ[5]。
たて いちろう 帯 一郎 | |
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本名 | 帶刀 繁隆(たてわき しげたか) |
生年月日 | 不詳年 |
没年月日 | 不詳年 |
出生地 | 日本 |
職業 | 元俳優 |
ジャンル | 劇映画(時代劇・現代劇、特撮映画) |
活動期間 | 1950年 - 1957年 |
主な作品 | |
『ゴジラ』 |
人物
編集1950年代、東宝の専属俳優として活動していた[1][2][3][4]。特に、1954年(昭和29年)11月3日に公開された本多猪四郎監督映画『ゴジラ』で演じた、GHK実況アナウンサー役が有名である[2]。
ところが、1957年(昭和35年)7月30日に公開された鈴木英夫監督映画『最後の英雄』以降の出演作品が見当たらず、同年以降に発行された東宝の社員名簿にも名前が記載されていない[1][2][3][4]。同じく東宝の専属俳優であった記平佳枝によれば、俳優業は早く廃業して別の会社に行ってしまった、と証言している[5]。また、中島春雄によれば、在籍当時は好男子でモテたという[2]。没年不詳。
主な出演作品
編集東宝
編集特筆以外、全て製作・配給は「東宝」である。
- 女三四郎(1950年、渡辺邦男監督)[注釈 2]
- 歌姫都へ行く(1950年、佐藤武監督)[注釈 3]
- その人の名は言えない(1951年、杉江敏男監督)
- 哀愁の夜(1951年、杉江敏男監督)
- 私はシベリヤの捕虜だった(1952年、阿部豊監督)
- 四十八人目の男(1952年、佐伯清監督) - 吉良の侍
- 太平洋の鷲(1953年、本多猪四郎監督) - 搭乗士官3[6]
- さらばラバウル 最後の戦闘機(1954年、本多猪四郎監督) - 指揮所の参謀
- かくて自由の鐘は鳴る 福沢諭吉傳(1954年、熊谷久虎監督) - 奥平壱岐
- ゴジラ(1954年、本多猪四郎監督) - アナウンサーB[6](GHKテレビアナウンサー[1][2])
- 密輸船(1954年、杉江敏男監督)
- 透明人間(1954年、小田基義監督) - タクシーの運転手[1][2][注釈 4]
- ゴジラの逆襲(1955年、小田基義監督) - 海洋漁業KK北海道支社員[7]、アナウンサーの声[1][2](2役)[注釈 4]
- 空の大怪獣 ラドン(1956年、本多猪四郎監督) - 新聞記者[1][2][注釈 4]
- 危険な英雄(1957年、鈴木英夫監督)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h モスラ映画大全 2011, p. 91, 「脇役俳優辞典29」
- ^ a b c d e f g h i j 初代ゴジラ研究読本 2014, p. 115, 「オール初代ゴジラ俳優大図鑑」
- ^ a b c d 映画年鑑 1954年版 1954, p. 477, 「全国映画関係人名録」
- ^ a b c d 映画年鑑 1955年版 1955, p. 582, 「全国映画関係人名録」
- ^ a b 初代ゴジラ研究読本 2014, p. 115, 「加藤茂雄と記平佳枝が語るゴジラ出演者」
- ^ a b 東宝特撮映画全史 1983, p. 535, 「主要特撮作品配役リスト」
- ^ “ゴジラの逆襲”. 東宝 WEB SITE. 東宝. 2022年3月2日閲覧。
参考文献
編集- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。
- 洋泉社MOOK 別冊映画秘宝(洋泉社)
- 『別冊映画秘宝 モスラ映画大全』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年8月11日。ISBN 978-4-86248-761-2。
- 『別冊映画秘宝 初代ゴジラ研究読本』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2014年8月24日。ISBN 978-4-8003-0452-0。