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広島市立狩小川小学校(ひろしましりつ かこがわしょうがっこう)は、広島県広島市安佐北区にある公立小学校

広島市立狩小川小学校
過去の名称 狩小川尋常小学校
狩小川国民学校
狩小川小学校
高陽町立狩小川小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 広島市
設立年月日 1909年
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
所在地 739-1752
広島県広島市安佐北区上深川町1345
外部リンク 公式サイト
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概要編集

1873年(明治6年)に博詳舎(後の狩留家小学校)、至誠館(後の小河原小学校)、成務館(後の上深川小学校)として発足以来、130年の歴史を持つ。

広島市の北北東の山地(林間部)の麓に校舎を構えており、清流を臨む緑豊かな環境に位置する。校舎裏の河川敷には、原爆慰霊碑があり、児童による平和の集いが行なわれている。

本学区(狩留家・小河原・上深川)は、四方を山に囲まれた純農村山地として発展してきた地域である。近年は、世帯数・人口ともに横ばいの傾向にある。学区が広く、片道3~4キロ以上を徒歩通学する児童もいる。山陽自動車道広島東インターチェンジに近いことや、向原・三次方面へと向かう県道が学区内を貫くことから交通量が増加し、継続的な安全指導と配慮が重視されている。

沿革編集

経緯編集

1909年(明治42年)に狩小川尋常小学校として開校。学校名は、当時の村域に属していた狩留家・小河原・上深川の町名から、それぞれ一文字を抜粋し、『狩小川』と総称したものが由来とされている。また、記述の3カ村が現在に渡り、校区と定められている。1889年市町村制が施行され、1898年に郡制の施行をもって安佐郡(旧高宮郡)が発足。1955年(昭和30年)に、狩小川村と、その近隣に独立していた落合村・口田村・深川村が対等合併し、高陽町が成立する。この町村合併に伴い、学校名が安佐郡高陽町立狩小川小学校に改称される。1973年(昭和48年)、高陽町が、隣接する安佐郡佐東町安古市町安芸郡瀬野川町とともに広島市へ編入。この市町村合併により、新たに広島市立狩小川小学校と改称され、現在に至る。

年表編集

  • 1909年明治42年) - 狩小川尋常小学校が開校される。
  • 1928年昭和3年) - 校舎の一部が焼失。同年10月に新校舎が落成する。
  • 1941年(昭和16年) - 狩小川国民学校と改称される。
  • 1947年(昭和22年) - 狩小川小学校と改称される。
  • 1953年(昭和28年) - 運動場が拡張、木造二階建校舎と講堂が落成する。同年に、校歌・校章の制定される。
  • 1955年(昭和30年) - 町村合併により安佐郡高陽町立狩小川小学校と改称される。
  • 1965年(昭和40年) - 全日本健康優良校として受賞される。
  • 1969年(昭和44年) - 屋内にプール施設が完成する。
  • 1973年(昭和48年) - 市町村合併により広島市立狩小川小学校と改称される。
  • 1981年(昭和56年) - 健康優良校受賞記念として「強いからだ」の石碑が設立される。
  • 1983年(昭和58年) - 鉄筋四階建校舎が新築落成。同年に、新運動場が完成する。
  • 1984年(昭和59年) - 屋内運動場が新築落成する。
  • 1988年(昭和63年) - 市水道施設が完成する。
  • 1992年平成4年) - 屋内に造形砂場が完成する。
  • 1993年(平成5年) - 狩小川児童館が完成する。
  • 2008年(平成20年) - 狩小川小学校百周年記念式典が開催される。

教育目標編集

  • 確かな力(学力・体力・生活力)、豊かな心を持ち、自立する子どもを育てる

学校行事編集

  • 始業式
  • 遠足
  • 社会科見学
  • 修学旅行
  • 野外活動
  • 運動会
  • かこがわ子どもフェスタ
  • 芸術鑑賞会
  • 平和学習
  • 校外学習
  • 書き初め会
  • 写生大会
  • 卒業式

周辺環境編集

白木街道に面した県道37号線沿いに所在。周辺は、山と川に囲まれた自然豊かな環境が広がっており、集落跡地や、対岸へ渡る近世補助路・循環道がある。校舎裏に流れる太田川の支流・三篠川(三田川)の川縁に「かこがわ水辺の楽校」が設置され、カヌー教室や河川水難事故防止に関する安全教室などが実施されている。

交通編集

関連項目編集

外部リンク編集