緯度と経度:北緯24度04分 東経120度32分
地区
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里
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南
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延平里、建宝里、光南里、南瑶里、華陽里、永生里、南興里、介寿里、成功里、延和里、桃源里、大同里、彰安里、東興里、福安里、西安里、華北里
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西
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崙平里、莿桐里、民権里、五権里、西勢里、南美里、平和里、西興里、忠孝里、向陽里、磚磘里、万寿里、忠権里、南安里、富貴里、東芳里、長楽里、中央里
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北
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新興里、陽明里、信義里、万安里、中正里、光華里、下廍里、民生里、中山里、卦山里、興北里、光復里、龍山里、文化里、新華里、永福里
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東
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阿夷里、和調里、竹中里、三村里、福山里、香山里、福田里、茄苳里、古夷里、石牌里、竹巷里、台鳳里、中庄里、快官里、田中里、大竹里、国聖里、安渓里、牛埔里、茄南里、宝廍里、復興里
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彰化市は昔、台湾原住民平埔族バブサ族の集落「ポアソア社」があったところで、台湾語音でそれを「半線(poaN3-soaN7,ポアソア)」と宛てた。諸羅県に帰属していた。後に清朝政府が「顕彰皇化」という意味を込めた「彰化」に改変した。
1684年、福建沿海居民がこの地に入植を開始し、1723年には諸羅県の中部百余里の地に県を設置する際に「彰化県」と命名され、これが彰化の地名の初見となる。彰化は大陸に近く、また鹿港が貿易の要衝であったことから、彰化は県の政治文化、商業中心地としての地位を占めた。1895年に台湾が日本に割譲された後、彰化は台中県彰化庁と改編され、その後台中庁と合併し台中支庁が設けられた。1920年には彰化郡が設置され、再び彰化が行政区域名として復活した。1933年に彰化街・南郭庄・大竹庄(おおたけ[1])の合併により市制を施行し、彰化市が誕生した。1945年の台湾光復後、彰化市は台湾省の省轄市(現在の市)となったのち、1950年の地方改制により県轄市に改編されて現在に至る。
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代 |
氏名 |
就任年 |
退任年 |
備考
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1 |
佐藤房吉 |
1933年12月 |
1935年8月 |
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2 |
小山政三郎 |
1935年8月 |
1936年12月 |
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3 |
安詮院貞熊 |
1936年12月 |
1939年4月 |
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4 |
小島猛 |
1939年4月 |
1940年10月 |
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代 |
氏名 |
就任年 |
退任年 |
備考
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1 |
小島猛 |
1940年10月 |
1941年1月 |
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2 |
大井又次 |
1941年1月 |
1944年1月 |
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代 |
氏名 |
就任年 |
退任年 |
備考
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暫定 |
石錫勲 |
1945年 |
1945年 |
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1 |
韋淡明 |
1945年 |
1945年11月26日 |
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2 |
王一麐 |
1945年11月26日 |
1948年4月2日 |
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3 |
陳錫卿 |
1948年4月2日 |
1950年10月21日 |
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代 |
氏名 |
党籍 |
在職期間 |
備考
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1 |
杜錫圭 |
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1951年7月2日-1954年7月1日 |
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2 |
杜錫圭 |
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1954年7月1日-1957年7月1日 |
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3 |
頼通堯 |
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1957年7月1日-1960年1月17日 |
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4 |
頼通堯 |
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1960年1月17日-1964年3月1日 |
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5 |
王山 |
中国国民党 |
1964年3月1日-1968年3月1日 |
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6 |
頼志騰 |
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1968年3月1日-1973年4月1日 |
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7 |
王紹義 |
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1973年4月1日-1977年12月30日 |
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8 |
王紹義 |
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1977年12月30日-1982年3月1日 |
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9 |
陳駿青 |
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1982年3月1日-1986年3月1日 |
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10 |
陳文騰 |
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1986年3月1日-1990年3月1日 |
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11 |
葉満盈 |
無所属 |
1990年3月1日-1994年3月1日 |
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12 |
葉満盈 |
無所属 |
1994年3月1日-1998年3月1日 |
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13 |
陳杰 |
中国国民党 |
1998年3月1日-2002年3月1日 |
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14 |
温国銘 |
中国国民党 |
2002年3月1日-2006年3月1日 |
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15 |
温国銘 |
中国国民党 |
2006年3月1日-2010年3月1日 |
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16 |
邱建富 |
民主進歩党 |
2010年3月1日-2014年12月25日 |
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17 |
邱建富 |
民主進歩党 |
2014年12月25日-2018年12月25日 |
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18 |
林世賢 |
民主進歩党 |
2018年12月25日- |
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