戸田忠余
戸田 忠余(とだ ただみ)は、下野宇都宮藩の第2代藩主。宇都宮藩戸田家5代。
戸田忠余の墓(合葬墓碑) | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 元禄2年1月20日(1689年2月9日) |
死没 | 延享3年6月16日(1746年8月2日) |
改名 | 彦四郎(幼名)、忠余 |
戒名 | 瑞麟院殿忠山玄功大居士 |
墓所 | 栃木県宇都宮市の英巌寺 |
官位 | 従五位下、越前守、日向守 |
幕府 | 江戸時代 |
藩 | 下野国宇都宮藩主 |
氏族 | 戸田氏 |
父母 | 父:戸田忠章、母:高閑院、養父:戸田忠真 |
兄弟 | 忠余、忠胤、九鬼隆抵、大関増恒正室 |
妻 | 正室:なし、側室:芳春院 |
子 |
秋元喬求、忠盈、忠寛、木下俊胤、 娘(板倉勝澄正室のち岩城隆恭正室)、 娘(青山忠高正室)、養子:忠久 |
略歴
編集元禄2年(1689年)1月20日、宇都宮藩戸田家分家で7000石を領した大身旗本・戸田大学忠章(宇都宮藩戸田家3代・戸田忠昌の五男)の長男として江戸で生まれる。元禄14年(1701年)8月29日に初代藩主・戸田忠真の養子となる。元禄16年(1703年)12月21日に従五位下・越前守に叙任される。正徳4年(1714年)9月7日に日向守に遷任する。第8代将軍徳川吉宗の日光社参が行なわれた際、養父の忠真は老中として江戸にあったため、代理として宇都宮城に宿泊した吉宗に謁見している[1]。
享保14年(1729年)、忠真の死去により家督を継いだ。延享3年(1746年)6月16日に死去。享年58。先代・忠真の六男で養子の忠久が早世したため、家督は次男の忠盈が継いだ。
系譜
編集父母
側室
- 芳春院
- 小川氏
子女
養子