日本とヨルダンの関係(にほんとよるだんのかんけい、アラビア語: العلاقات الأردنية اليابانية‎、英語: Japan–Jordan relations)は、日本国ヨルダン・ハシミテ王国との間の二国間関係を指す。

日本とヨルダンの関係
JapanとJordanの位置を示した地図

日本

ヨルダン

1954年に両国の間で国交が樹立されて以来、一度も国交が途絶えることなく現在に至っている。

両国の比較 編集

  ヨルダン   日本 両国の差
人口 759万4000人(2015年)[1] 1億2711万人(2015年)[2] 日本はヨルダンの約16.7倍
国土面積 8万9000 km²[1] 37万7972 km²[3] 日本はヨルダンの約4.2倍
首都 アンマン[4] 東京
最大都市 アンマン 東京
政体 立憲君主制[5] 議院内閣制[6]
公用語 アラビア語[7] 日本語事実上
国教 イスラム教[7] なし
GDP(名目) 382億1000万米ドル(2015年)[8] 4兆1162億4200万米ドル(2015年)[8] 日本はヨルダンの約107.7倍
防衛費 N/A 409億米ドル(2015年)[9]

歴史 編集

 
ペトラ遺跡の寺院跡

現在のヨルダンに相当する地域は旧石器時代から人類が活動していた痕跡を発見することができ、メソポタミア文明が生まれた肥沃な三日月地帯と呼ばれる地域に近く、古来より貿易の中継地点と栄えていた(ペトラ遺跡)。この地の支配者は新バビロニアナバテア王国ローマ帝国イスラム諸王朝など有為転変きわまりなく入れ替わり、1917年、それまでオスマン帝国の支配下にあったものを第一次世界大戦連合国イギリスが占領して軍政を敷き、1920年からはイギリス委任統治領パレスチナとして高等弁務官を派遣して植民地支配を開始した[10]

1921年、イギリスは委任統治領パレスチナからヨルダン川以東を分離して、預言者ムハンマドの曽祖父ハーシムを先祖に持つ名族ハーシム家が統治する従属国トランスヨルダン首長国アラビア語版英語版とした。第二次世界大戦終結後の1946年、イギリスの支配から脱してトランスヨルダン・ハシミテ王国として独立し、1950年にはヨルダン・ハシミテ王国と改称された[1]

 
先々代に当たる祖父アブドゥッラー1世国王が存命であった頃のアル=フセイン・ビン・タラール王子、後のフセイン王太子、フセイン1世国王(1950年、当時14歳)

1952年、当時16歳であった王太子アル=フセイン・ビン・タラールが国王フセイン1世として即位。

1954年、日本とヨルダンとの間で国交が樹立された。1974年、日本はヨルダンの首都アンマン大使館を設置。同年、ヨルダンも日本の首都東京大使館を設置[1](それまでは台北在中華民国ヨルダン大使館が日本を兼轄していた[11])。

1976年3月、フセイン国王がアーリアアラビア語版英語版王妃バスマアラビア語版英語版王妹、ザイド・アッ=リファーイーアラビア語版英語版首相夫妻らを伴って国賓待遇で来日し、昭和天皇香淳皇后三木総理大臣、その他各界の代表者と会見した。殊に三木首相とは訪日中に二度も会見しており、両国の首脳ともに「世界平和を推進し、かつ、国際協力を発展させるために両国が相互に協力を続けるべきこと」に合意した。具体的には、イスラエル国連安保理決議に従って第三次中東戦争で占領した地域から全兵力を撤退させるべきであること、中東における全ての国の領土の保全と安全が尊重されるべきであること、パレスチナ人の民族的権利が踏みにじられることなく国連憲章に基づき承認・尊重されるべきであること、などといった重要事項について両国の首脳は一致した見解を表明した[12]

1985年、両国間の技術協力協定が発効。1995年、航空協定が発効。1997年、査証手数料相互免除協定が発効[1]

1999年2月、46年以上もの長きにわたって王位にあったフセイン国王が逝去、王太子アブドゥッラー・ビン・アル=フセインが国王アブドゥッラー2世として即位した。同年12月には、アブドゥッラー国王がラーニア王妃を伴って国賓待遇で訪日し、皇居での宮中晩餐などに招かれた[13]。これは、アブドゥッラー国王にとって即位後初となる日本への公式訪問となった。但し、アブドゥッラー国王は一介の王子であった(まだ王太子ですらなかった)頃に、3回ほど来日している[1]

2012年、両国間の原子力協定が発効[1]

2015年1月17日エジプトの首都カイロで開催された日エジプト経済合同委員会の席上において、安倍晋三内閣総理大臣は「まず私はアンマンで、激動する情勢の最前線に立つヨルダン政府に対し、変わらぬ支援を表明します[14]」、「ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します[15]」と公式に述べて、ヨルダン支持および反ISIL(いわゆる「イスラム国」)の姿勢を明確に打ち出した[16]

 
安倍晋三内閣総理大臣(右)とフセインアラビア語版英語版王太子、於・迎賓館赤坂離宮(2019年10月21日)

2019年10月22日、訪日中のフセインアラビア語版英語版王太子がリーナ・アンナーブ駐日大使を伴って今上天皇即位礼正殿の儀に参列した[17][18]

要人往来 編集

ヨルダン王室の訪日歴は非常に多く、フセイン1世国王が4回(1976年、1982年、1983年、1989年)、アブドゥッラー2世国王(元王子、元王太子)が13回(1982年、1993年、1998年、1999年、2002年、2004年、2005年、2006年、2009年、2010年、2014年、2016年、2018年)、ハッサンアラビア語版英語版王子(元王太子)が6回(1974年、1988年、1990年、1995年、2006年、2008年)、フセインアラビア語版英語版王太子が1回(2019年)、日本を訪問している[1]

外交使節 編集

駐ヨルダン日本大使・公使 編集

駐日ヨルダン大使館 編集

駐日ヨルダン大使・公使 編集

駐日ヨルダン公使 編集

  1. サイイドアズミー・アン=ナシャーシービー(台北常駐、1959~1960年)[19]
  2. サイイドサーバト・アル・ハーリディー(台北常駐、1960~1962年)[19]

駐日ヨルダン大使 編集

  1. サイイドサーバト・アル・ハーリディー(台北常駐、公使より昇格、1962~1969年)[19]
  2. カーミル・アッ・シャリーフアラビア語版(台北常駐、1969~1974年)[19]
  3. アーミル・シャンムート(アーメル・シャンムート、1974~1980年、信任状捧呈は4月13日[20]
  4. ズハイル・アル=ムフティー(1980~1983年)
  5. サアド・アル=バターイナ(1983~1985年)
  6. ハーリド・アル=マダードハ[21](1985~1990年)
  7. ファールーク・アル=カスラーウィーアラビア語版英語版(1990~2000年、信任状捧呈は10月19日[22]
  8. サミール・アン=ナーウーリー(2000~2008年、信任状捧呈は11月7日[23]
  9. ディーマーイ・ズハイル・ハッダード(2009~2018年、信任状捧呈は10月16日[24]
  10. リーナ・アンナーブ(2019年~、信任状捧呈は6月19日[25]

出典・脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h ヨルダン基礎データ | 外務省
  2. ^ 平成27年国勢調査人口速報集計 結果の概要 - 2016年2月26日
  3. ^ 日本の統計2016 第1章~第29章 | 総務省統計局
  4. ^ ヨルダン憲法アラビア語版英語版第3条で明確に定められている。
  5. ^ ヨルダン憲法アラビア語版英語版で明確に定められている。
  6. ^ 日本国憲法で明確に定められている。
  7. ^ a b ヨルダン憲法アラビア語版英語版第2条で明確に定められている。
  8. ^ a b Report for Selected Countries and Subjects | International Monetary Fund (英語)
  9. ^ SIPRI Fact Sheet, April 2016 Archived 2016年4月20日, at the Wayback Machine. (英語) - 2016年4月
  10. ^ Official Records of the Second Session of the General Assembly, Supplement No. 11, United Nations Special Committee on Palestine, Report to the General Assembly, Volume 1. Lake Success, NY, 1947. A/364, 3 September 1947, Chapter II.C.68. Archived 2014年6月3日, at the Wayback Machine. (英語)
  11. ^ 『昭和46年版 わが外交の近況(第15号)』第3部 > II 付表 > 3. わが国に置かれている外国公館一覧表
  12. ^ フセイン国王訪日に際しての日本・ジョルダン共同コミュニケ | データベース『世界と日本』 - 1976年3月16日
  13. ^ 主な式典におけるおことば(平成11年):天皇陛下のおことば - 宮内庁
  14. ^ 英語での公式発言は "First in Amman, I will confirm our unwavering support to the Government of Jordan, a country that stands at the front line facing the unfolding situation." である。Speech by Prime Minister Abe "The Best Way Is to Go in the Middle" | Ministry of Foreign Affairs of Japan (英語)を参照。
  15. ^ 英語での公式発言は "I will pledge assistance of a total of about 200 million U.S. dollars for those countries contending with ISIL" である。Speech by Prime Minister Abe "The Best Way Is to Go in the Middle" | Ministry of Foreign Affairs of Japan (英語)を参照。
  16. ^ 安倍総理大臣の中東政策スピーチ(中庸が最善:活力に満ち安定した中東へ 新たなページめくる日本とエジプト) | 外務省 - 2015年1月18日
  17. ^ 即位礼正殿の儀 | 首相官邸ホームページ
  18. ^ 外交青書 2020 | 即位礼正殿の儀参列者(外国元首・祝賀使節等及び駐日外国大使等) | 外務省
  19. ^ a b c d 鹿島守之助『日本外交史 別巻3』(鹿島研究所出版会、1974年)、p.677
  20. ^ 外務省情報文化局外務省公表集(昭和四十九年)』「六、儀典関係」「8 新任駐日ジョルダン大使の信任状捧呈について」
  21. ^ List of Official Mourners Representing Foreign Countries and International Organizations at the Funeral Ceremony of Emperor Showa | Diplomatic Bluebook 1989 (英語)
  22. ^ 信任状捧呈式(平成2年) - 宮内庁
  23. ^ 信任状捧呈式(平成12年) - 宮内庁
  24. ^ 外務省: 新任駐日ヨルダン大使の信任状捧呈 - 2009年10月15日
  25. ^ 駐日ヨルダン大使の信任状捧呈 | 外務省 - 2019年6月19日

関連項目 編集

外部リンク 編集