本田竹広
日本のジャズピアニスト (1945-2006)
(本田竹廣から転送)
本田 竹広(ほんだ たけひろ、本名:本田昂(たかし)、1945年8月21日 - 2006年1月12日)は、日本のジャズピアニスト。芸名は本田竹彦・本田竹曠とした時期あり。岩手県宮古市出身[1]。国立音楽大学卒[1]。ジャズ・ボーカリストのチコ本田は元[要出典]妻、チコ本田との間に産まれた息子はジャズ・ドラマーの本田珠也[1][2]。
本田竹広 | |
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出生名 | 本田昂 |
別名 |
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生誕 | 1945年8月21日[1] |
出身地 | 日本岩手県宮古市[1] |
死没 | 2006年1月12日(60歳没)[1] |
学歴 | 国立音楽大学卒業[1] |
ジャンル | ジャズ、フュージョン |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
活動期間 | 1966年 - 2006年 |
共同作業者 |
経歴
編集ディスコグラフィ
編集- 『本田竹彦の魅力』 - T. Honda Meets Rhythm Section Featuring S. Watanabe(1969年12月録音)(Trio) 1970年(初リーダー作品。渡辺貞夫と共演。)
- 『ザ・トリオ』 - The Trio(1970年3月録音)(Trio) 1970年
- 『浄土』 - Jodo(1970年12月録音)(Trio) 1970年
- 『フライング・トゥ・ザ・スカイ』 - .FLYING TO THE SKY(1971年3月録音)(Trio) 1971年
- 『アイ・ラブ・ユー』 - I Love You(1971年4月録音)(Trio) 1971年
- 『ワッツ・ゴーイング・オン』 - What's Going On (1971年録音)(Trio) 1973年
- ママ・Tと共同名義, 『ミスティ』 - MISTY(1971年12月録音)(Trio) 1976年
- 『ジス・イズ・ホンダ』 - This Is Honda(1972年4月録音)(Trio) 1972年(『スイングジャーナル』選定ジャズ・ディスク大賞、最優秀録音賞)
- 『サラーム・サラーム』 - Salaam Salaam(1974年6月録音)(East Wind) 1974年
- 『ライヴ・アット鹿児島 USA 1974 Vol.1"オレオ"』 - Live at Kagoshima USA Vol.1 "Oleo"(1974年6月録音)(Aketa's Disk) 2007年(没後作品)
- 『ライヴ・アット鹿児島 USA 1974 Vol.2"ソフトリー・アズ・イン・ア・モーニング・サンライズ"』 - Live at Kagoshima USA Vol.2 "Softly As In A Morning Sunrise"(1974年6月録音)(Aketa's Disk) 2007年(没後作品)
- 『アナザー・ディパーチャー』 - Another Departure(1977年5月録音)(Flying Disk) 1977年(ロン・カーター、トニー・ウィリアムスが参加)
- 『イッツ・グレイト・アウトサイド』 - It's Great Outside(1978年3月、4月録音)(Flying Disk) 1978年
- ネイティブ・サン名義, 『サバンナ・ホットライン』 - Savanna Hot-Line(1979年8月~12月録音)(Victor) 1979年(ネイティブ・サンの代表作)
- ネイティブ・サンと共同名義, 『アグンチャ(仲間たち)』 - Aguncha(1978年2月録音)(Polydor) 1987年
- 『EASE』 - EASE(1992年9月録音)(BMG JAPAN) 1991年(『スイングジャーナル』選定ゴールドディスク)
- 『紀尾井ホール・ピアノリサイタル』 - My Piano My Life 05: Piano Recital(2005年7月録音)(Teichiku Entertainment) 2005年(千代田区「紀尾井ホール」におけるライヴ。本田のラスト・アルバム。)
脚注
編集出典
編集参考資料
編集- “本田竹広”. CDJournal. 2021年4月5日閲覧。
- “本田 竹広とは”. コトバンク. VOYAGE MARKETING. 2021年4月5日閲覧。(出典『新撰 芸能人物事典 明治〜平成』日外アソシエーツ、2010年。)
- “チコ本田「チコ」 | OTLCD-2405 | 4526180482802”. Billboard JAPAN. 2021年4月5日閲覧。
外部リンク
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