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日本 > 鹿児島県 > 日置市 > 東市来町養母

東市来町養母(ひがしいちきちょうようぼ Higashiichiki-Chō Yōbo)は、鹿児島県日置市大字[1]。旧日置郡市来郷養母村、日置郡東市来村大字養母、日置郡東市来町養母。人口は1,603人、世帯数は694世帯(2010年10月1日現在)[2]郵便番号は899-2311。

東市来町養母
日置市立上市来中学校
東市来町養母の位置(鹿児島県内)
東市来町養母
東市来町養母
北緯31度41分0.3秒 東経130度23分32.6秒 / 北緯31.683417度 東経130.392389度 / 31.683417; 130.392389
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 日置市
人口
(2010年10月1日現在)
 • 合計 1,603人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
899-2311

地理編集

日置市の北西部、大里川の上流域から中流域に位置している。字域の北方には薩摩川内市樋脇町市比野、南方には日置市伊集院町桑畑伊集院町下神殿伊集院町野田、東方には日置市伊集院町上神殿鹿児島市郡山岳町、西方には日置市東市来町美山東市来町長里東市来町湯田いちき串木野市川上がそれぞれ接している。

字域の中央部を大里川が、北部を八房川、南部を江口川がそれぞれ東西に流れており、それぞれの河川流域には水田が多く所在している。

字域の中央部を鹿児島県道304号仙名伊集院線が南北に通っており、南部を流れる江口川に沿って鹿児島県道305号養母長里線が、中央部を流れる大里川に沿って鹿児島県道309号山田湯之元停車場線、北部を流れる八房川に沿って鹿児島県道308号郷戸市来線がそれぞれ東西に通っている。

中央部には日置市立上市来中学校日置市立上市来小学校が所在している。

河川編集

  • 大里川
  • 八房川
  • 江口川

歴史編集

養母の成立と中世編集

養母という地名は戦国期より見え、薩摩国市来院のうちの名田名であった。天正8年の川上孫次郎の島津氏老臣連署坪付には「薩州市來之内 養母名 一反 山田先中むた」とあり、この頃より見える。

近世の養母編集

江戸期には薩摩国日置郡市来郷(外城)のうちであり、村高は「天保郷帳」では1,919石余、「旧高旧高」では1,965石余であった[1]

慶長3年に島津義弘が朝鮮より連れ帰った陶工を串木野郷下名村島平から地内に移された際に陶工の居住区域となった養母村の一部が苗代川村(現在の日置市東市来町美山)として分村し[1]、養母村は市来郷のうちであったが、分村した苗代川村は伊集院郷のうちとなった。

町村制施行以後編集

1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、市来郷のうち東半分の区域より東市来村が成立し、江戸期の養母村は東市来村の大字「養母」となった。1937年(昭和12年)には東市来村が町制施行し、東市来町の大字となった[1]1998年平成10年)に伊集院町大字上神殿字西迫及び字折口の各一部を養母に編入し、養母字諭田の一部が伊集院町大字上神殿の一部となった[3]

2005年(平成17年)に東市来町が日吉町吹上町伊集院町と合併し日置市となったのに伴い、従来の大字名に旧自治体名を冠することとなり、日置市の大字「東市来町養母」に改称した[4]

字域の変遷編集

実施後 実施年 実施前
養母の一部 1998年平成10年) 伊集院町大字上神殿字西迫、字折口
伊集院町大字上神殿の一部 養母字諭田

施設編集

 
日置市立上市来小学校
公共
  • 高山地区公民館(高山小学校跡地)
教育
郵便局
  • 上市来郵便局

小・中学校の学区編集

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。

大字 番地 小学校 中学校
東市来町養母 全域 日置市立上市来小学校 日置市立上市来中学校

交通編集

脚注編集

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  1. ^ a b c d 角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.649
  2. ^ 2.男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等(CSVファイル)( 平成22年国勢調査 小地域集計 46鹿児島県) - 総務省統計局 2012年2月7日閲覧。
  3. ^ 平成10年鹿児島県告示第1802号、平成10年12月22日付鹿児島県公報第1432号所収)
  4. ^ 合併協定書 (PDF) p.5 - 日置中央合併協議会(日置市) 2012年4月3日閲覧。

関連項目編集