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松永 怜一(まつなが れいいち、1931年11月3日 - )は、福岡県北九州市出身のアマチュア野球指導者。

松永 怜一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県北九州市
生年月日 (1931-11-03) 1931年11月3日(88歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
野球殿堂(日本)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 2007年
選出方法 特別表彰

学生・社会人野球界で監督を歴任。野球が公開競技であったロサンゼルスオリンピックでは野球日本代表を監督として率いチームを金メダルに導いた。

経歴編集

高校時代編集

八幡市立(現在の北九州市立)槻田小学校時代、家の近くの八幡製鉄(新日鉄住金八幡)のホームグラウンド大谷球場(現在の北九州市立大谷球場)で八幡製鉄と門司鉄道管理局の春・秋の定期戦「製門戦」に夢中になる。

八幡中・高時代は小倉中・高が夏の甲子園大会で全国優勝したので打倒小倉に燃えていた。小倉のエースは福嶋一雄(2013年野球殿堂入り)であった。松永は3番でサードを守っていた。1949年、夏の甲子園大会予選、福岡県大会の決勝で小倉高校と甲子園出場をかけて戦うが、5対2で敗れる。しかし、松永は甲子園大会出場の手応えを感じる。八幡高は秋の新人戦で敗れるものの、松延一男野球部長は頻繁に中・四国の強豪校との練習試合を組み、ことごとく撃破する。 松延部長の戦略が功を奏して、1950年第22回選抜高校野球大会出場校に選ばれ、甲子園初出場を果たす。準々決勝、激しい雨中の大激戦の果て韮山高にサヨナラ負けを喫するが、3番サードで主将の松永はチームメイトの渡辺雅人投手、森下正夫内野手(卒後南海ホークスに入団)とともに優秀選手に選ばれる。 夏の甲子園大会予選、福岡県大会の準決勝、小倉高と対戦、1対0で小倉がリード、9回八幡の最後の攻撃で先頭バッターの松永は初球をライト前にヒット、これを小倉のライトは後逸、ボールは転々とフェンスへ、松永は2塁をまわり3塁へ向かうが、3塁のコーチャーズ・ボックスには誰もいない。そのとき八幡の選手たちはまだベンチ前で円陣を組んでいた。松永は「えーい、ままよ」と果敢に3塁をまわって本塁をねらう。が、惜しくもホームベース寸前でタッチアウト。八幡の念願、夏の甲子園大会初出場は断たれた。こうして松永の高校最後の夏は終わった。

大学時代編集

1951年、法政大学に入学。1年生の春からレギュラーとして活躍するも腰を痛め、4年生の最後のリーグ戦は春・秋ともに欠場を余儀なくされる。

指導者時代編集

腰痛のため現役を引退し、浦堅二郎、藤田信男(1987年野球殿堂入り)という良き理解者の支援により指導者の道へ進む。

  • 1955年、法政大学附属第一高校の監督に就任。1960年、選抜高校野球大会で甲子園に初出場。1961年には夏の甲子園大会に初出場。
  • 1964年、堀越学園高校の監督に就任。
  • 1965年、法政大学の監督に就任。法政三羽烏と呼ばれた田淵幸一、山本浩二、富田勝やリーグ戦通算48勝の山中正竹を育て、リーグ戦で通算6度の優勝、法政大学の黄金時代を築く。
  • 1971年、住友金属和歌山(現在の新日鉄住金和歌山)の監督に就任。社会人野球日本選手権に2度優勝。
  • 1980年、住友金属和歌山の監督を辞する。
  • 1984年、ロサンゼルス・オリンピックの公開競技で、野球日本代表の監督として金メダルを獲得する。11月、国際アマチュア野球連盟(現在の国際野球連盟)から最優秀監督賞を受ける。日本野球連盟の技術委員長に就任。
  • 2001年から2年間、JOC(日本オリンピック委員会)選手強化本部長に就任。
  • 2007年、野球殿堂入り。
  • 現在はJOC名誉委員、日本野球連盟参与。

松永語録編集

  • 練習は監督が、試合は選手が。「練習は選手が、試合は監督が」の指導者エゴが日本の野球を阻害した。プレーするのは監督ではなく選手だ。勝利の方程式は、選手の力が5、監督の力は3、残りの2は勝負につきものの運と考えるか、少なくとも監督の力が選手の力を上回ってはいけない。選手も自分の力を最大限発揮しようと努力している。その自己開発に手を差しのべてやるのが指導者の務めだ。
  • 練習の目的は試合にある。そのためには基本から離れない練習を鉄則とする。思いつきの練習、計画性のない練習、積み重ねのない練習、即ち練習のための練習、それを百も承知でやる義理の練習では立派な選手は育たない。そのためには指導者は、野球を学問と位置づけ、学び、理論武装する。情熱や愛情、主観と経験則だけでは限界がある。
  • 単に精神力強化を目的とした練習は、疲労が目的の練習に終わる。常に宿題、反省、問題点を見つけ出し、課題を明確にした上で明日の練習に取り組むことが重要である。
  • 選手が倍の努力をするなら、コーチは4倍努力しろ、監督は8倍努力しろ! 指導者の基本姿勢は、功は選手・部下に、責は己にでなければならない。

参考文献編集

  • 松永怜一『野球 現場主義』(ベースボール・マガジン社、2007年11月29日)。
  • 大羽武『甲子園2連覇 -焼け野原から立ち上がった球児・福嶋一雄-』(朝日クリエ、2012年7月25日)。
  • 大羽武『甲子園2連覇 -夏の甲子園大会12勝0敗、5試合連続45イニング無失点、甲子園の土を最初に持ち帰った球児、平成25年野球殿堂入り・福嶋一雄-』(電子書籍、BookWay、2015年5月5日)。

関連項目編集