メインメニューを開く
1939年ごろ

松田 辰雄(まつだ たつお、1916年 - 1955年1月14日)は、将棋棋士。八段。神田辰之助門下。大阪府大阪市出身。

人物編集

1946年順位戦B級に参加し、1948年にA級に昇級。この年はB級の上位1名とA級の上位3名が名人挑戦者決定戦に進出し、4者パラマス方式で挑戦者が決定された。松田はA級2位で、B級1位の五十嵐豊一をまず下し、A級1位の木村義雄と三番勝負に挑んだ。

名人復帰に燃える木村を相手に、関西出身の松田は盛大な声援をバックに対局した。先手番の第1局は居玉、後手番の第2局は「阪田流向飛車」で挑んだが、2連敗で挑戦はならなかった。木村はその後、名人の塚田正夫から名人を奪取した。

この年以降、松田は病気のために休場する。そして1955年、順位戦復帰かなわずB級1組在籍のまま逝去。

昇段履歴編集

  • 1932年 入門
  • 1935年 四段
  • 1947年5月10日 七段(順位戦B級)
  • 1948年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
  • 1955年1月14日 逝去

主な成績編集

  • 順位戦 A級 通算・連続5期(うち4期は病気休場)

関連項目編集