石川陽生

日本の将棋棋士

石川 陽生(いしかわ あきお、1963年3月5日 - )は、将棋棋士棋士番号は177。東京都新宿区出身。高田丈資七段門下。

 石川陽生 七段
名前 石川陽生
生年月日 (1963-03-05) 1963年3月5日(60歳)
プロ入り年月日 1986年5月14日(23歳)
棋士番号 177
出身地 東京都新宿区
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 高田丈資七段
段位 七段
棋士DB 石川陽生
2014年5月30日現在
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棋歴編集

10歳から将棋を始めた。「4人兄弟で兄達が将棋を指すところを見て『負かしてやりたい』との闘争心に火が点いた」という。中学生でアマ四段となり、この頃から棋士を目指し始めると、14歳で奨励会に入会した[1]

奨励会二段の頃、第5回(1982年度)「若駒戦」の決勝(東西決戦)で有森浩三に勝って優勝。同棋戦では翌年も決勝進出している(神崎健二に敗れ、準優勝)。その後、規定の成績を挙げて、1986年度にプロデビュー。

プロデビュー後編集

1987年度の第46期順位戦にて順位戦に初参戦。最終局で4勝目を挙げた結果、合計4勝6敗で辛うじて降級点の回避に成功した。

1988年度の第47期順位戦では8勝2敗の好成績を収めるが、当期のC級2組は8勝2敗の者が石川を含めて10名いる大激戦であり、順位差で昇級ならず。

1991年度、第50期順位戦で9勝1敗の好成績を収めた結果、2位でC級1組へ昇級した。また、第4期竜王戦では昇級者決定戦を制して、5組へ昇級した。

1993年度は第6期竜王戦の5組ランキング戦で準優勝し、4組へ昇級した。しかし第9期竜王戦(1996年度)で3連敗し、5組へ降級した。

1999年度、第58期順位戦のC級1組で苦戦した結果、2勝8敗に終わり初の降級点となってしまった(翌年度に6勝4敗と勝ち越して降級点を消去)。その他、第49回NHK杯にて初めて予選を突破すると、本戦でも2連勝した。

2001年度、第14期竜王戦で3連敗し、6組へ降級した。

第44期(2003年度)第44期王位戦の予選で中原誠深浦康市に勝ってリーグ入りする活躍。リーグでは1勝に留まり、残留失敗。

2005年度、第13期銀河戦の決勝トーナメントに初進出(1回戦で敗退)。本戦ブロックの2連勝で進出という幸運だった。

第56回(2006年度)NHK杯戦では、阿久津主税森下卓に勝ち、ベスト16入り。

2007年度、第66期順位戦のC級1組で3勝7敗に終わり、再び降級点となった。第79期棋聖戦第57期王将戦では二次予選決勝まで勝ち進むが、それぞれ屋敷伸之藤井猛に敗れて、惜しくも本戦・リーグ入りならず。

2008年度は第57期王座戦で勝ち進むが、二次予選決勝で森内俊之に敗れ、またしても本戦入りならず。

2009年度、第68期順位戦のC級1組で再び3勝7敗に終わり、2回目の降級点でC級2組へ陥落となった。

C級2組でも順位戦の不調は止まらず、2012年度(第71期順位戦)~2014年度(第73期順位戦)の3年連続で降級点となり、結果降級点3でフリークラスへ陥落した。

その後も調子の上がらない期間が続いたが、2020年度に若手強豪棋士の渡辺和史黒沢怜生[2]相手に勝利する活躍を見せると、2021年度はフリークラス編入後で初めての二桁勝利(10勝11敗)を収めた。

棋風編集

振り飛車党である。

三間飛車美濃囲いにすることが多い。また、相手が振り飛車の場合、自分も振って相振り飛車にする。

人物・エピソード編集

  • 「撮影に入ると、キリッとした表情になるプロ意識の高い棋士」と評されている[3]
  • 順位戦デビューとなった第46期順位戦の最終局は、A級経験者の強豪である五十嵐豊一が相手だった。前述通り石川が勝利して4勝目を挙げた結果、五十嵐は1つ目の降級点を取得する事になり、この敗局を最後に引退している。

昇段履歴編集

昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。

  • 1977年 6級 = 奨励会入会
  • 1980年 初段
  • 1986年5月14日 四段 = プロ入り
  • 1991年7月16日 五段(勝数規定)
  • 1998年7月30日 六段(勝数規定)
  • 2007年10月23日 七段(勝数規定)

主な成績編集

在籍クラス編集

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

著書編集

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集