林信雄 (政治家)
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林 信雄(はやし のぶお、1899年(明治32年)5月5日[1] – 1974年(昭和49年)12月1日[2])は、日本の衆議院議員(自由党)。福岡県小倉市長。弁護士。
経歴 編集
福岡県朝倉郡朝倉村(現在の朝倉市)出身[3]。1920年(大正9年)、明治大学法科を卒業[3]。弁護士を開業し、福岡県会議員に選ばれた[3]。
1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し、当選。1946年(昭和21年)、推薦議員のため公職追放を受ける[4]。追放解除後の1953年(昭和28年)、第26回衆議院議員総選挙で再選を果たした。
その後、小倉市長に当選。北九州市の設置に伴い、小倉市が廃止されるまで務める。
脚注 編集
- ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、29頁。
- ^ a b 衆議院議員名鑑 1990.
- ^ a b c 衆議院要覧 1942.
- ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面。
参考文献 編集
- 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
公職 | ||
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先代 浜田良祐 |
福岡県旧小倉市長 1955年 - 1963年 |
次代 廃止 |