柳亭燕路 (6代目)
日本の落語家・落語研究家 (1934-1991)
六代目 柳亭 燕路(りゅうてい えんじ、1934年10月20日 - 1991年2月10日)は落語家、落語研究家。諸芸懇話会会員。出囃子は『五郎時致のせり』。本名:黒田 建之助。
六代目 | |
柳家小團治時代(1959年6月6日) | |
本名 | |
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生年月日 | 1934年10月20日 |
没年月日 | 1991年2月10日(56歳没) |
出身地 | 日本・東京都大田区 |
師匠 | 五代目柳家小さん |
弟子 | 柳亭燕丸 柳亭燕福 |
名跡 | 1. 柳家小助 (1954年 - 1957年) 2. 五代目柳家小團治 (1957年 - 1968年) 3. 六代目柳亭燕路 (1968年 - 1991年) |
出囃子 | 五郎時致のせり |
活動期間 | 1954年 - 1991年 |
活動内容 | 古典落語 |
配偶者 | せなけいこ |
家族 | 長男 黒田龍之助(言語学者) |
所属 | 落語協会 |
経歴
編集1954年(昭和29年)6月、五代目柳家小さんに入門し前座名は小助。
1957年(昭和32年)3月に二ツ目で五代目柳家小団治となる。
1968年(昭和43年)9月、橘家文蔵と共に真打に昇進し六代目柳亭燕路を襲名。
晩年は、肝硬変を患っていたため、入退院を繰り返していたが、体調の様子を見ながら独演会を開いた。
芸歴
編集人物
編集落語家としての活躍だけでなく、落語研究家として、古典落語の普及に尽力し、子供でも落語に親しめるように古典落語をアレンジし、『こども寄席』や『落語家の歴史』の著書がある[注釈 1]。後に、『こども寄席』に収録した、古典落語の「子ほめ」が、国語の教科書に読みもの教材として掲載された。新作ではニコライ・ゴーゴリの「外套」を落語化する。「竹取物語」を題材にした創作落語を発表した。
落語の文献の研究、史料の収集に力を注いだ。特に初代談洲楼燕枝の研究には没頭した。晩年「燕枝」の襲名も計画していた。
自他とも認める筆不精だったが、ワープロがまだ珍しかったころにワープロを購入してからは、独演会などの案内などは、自分で作成し、案内状や手紙を書く回数が増えていった。
家族
編集著書
編集- 『落語家の歴史』雄山閣歴史選書 1972
- 『落語家の生活』雄山閣出版 生活史叢書 1988
- 『子ども寄席』全12巻 二俣英五郎絵 こずえ 1975-77
- 『子ども落語』全6冊 ポプラ社文庫 1981-82
- 『子ども寄席』2巻 日本標準 2010 シリーズ本のチカラ