榎 康弘(えのき やすひろ、1972年5月22日 - )は、埼玉県越谷市[1]出身の元プロ野球選手投手)。

榎 康弘
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県越谷市
生年月日 (1972-05-22) 1972年5月22日(51歳)
身長
体重
180 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1990年 ドラフト6位
初出場 1991年4月17日
最終出場 2000年8月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物 編集

東海大甲府高では、2年次の秋からエースとなる。関東大会で準優勝し、1990年春の選抜に出場。ベスト4で優勝校である近大附高に延長13回サヨナラ負けを喫する[1]。夏は山梨県大会決勝で甲府工業高に敗れた[1]

1990年のプロ野球ドラフト会議ロッテオリオンズから6位指名を受け入団[1]

ノーラン・ライアンばりのフォームからの速球とスライダーが特徴だった。

1991年から一軍登板を果たす。

1994年には西武から4勝を記録するなど7勝をあげる。

1995年は開幕ローテーションに入り初登板初勝利を記録したがその後三連敗となり二軍落ち、その後1A・バイセイリア・オークスに野球留学した為そのままシーズンを終える形になった。留学の成果は実らず翌年以降は低迷が続く。

1997年10月小原沢重頼との交換トレードで巨人に移籍[1]。ファームでは主力投手として活躍するも、当時の投手陣の厚さから2年間で1勝のみに終わる。

1999年10月に自由契約となりテスト入団を経てロッテに復帰も、活躍はなくそのまま引退[1]

2007年までは同チームの打撃投手広報として、2008年以降は広報担当一本でチームを支えていた。2017年12月よりスカウトに転任した[2]。アマチーフスカウトを経て、2022年1月にスカウト部長に就任した[3]

広報ではマッチデープログラムでコラム『エノキボンバWAY』(“イノキ、ボンバイエ”をもじったもの)を執筆。現役時代の登場曲は『炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜』だった。

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
1991 ロッテ 4 2 0 0 0 0 0 0 -- ---- 28 4.1 9 0 6 0 0 3 0 0 4 3 6.23 3.46
1994 18 15 1 0 0 7 4 0 -- .636 397 90.2 102 7 26 0 1 51 0 0 45 38 3.77 1.41
1995 5 5 0 0 0 1 3 0 -- .250 94 19.0 27 4 10 0 1 10 0 0 18 15 7.11 1.95
1996 17 4 0 0 0 1 3 0 -- .250 170 39.0 44 8 12 1 4 20 0 0 20 17 3.92 1.44
1997 9 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 71 17.2 16 1 3 1 0 8 1 0 4 3 1.53 1.08
1998 巨人 5 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 27 4.2 9 1 3 0 2 0 0 0 10 10 19.29 2.57
1999 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 11 1.2 6 0 0 0 0 0 0 0 3 3 16.20 3.60
2000 ロッテ 6 2 0 0 0 0 2 0 -- .000 56 12.0 16 1 3 0 2 6 1 0 10 10 7.50 1.58
通算:8年 66 28 1 0 0 10 12 0 -- .455 854 189.0 229 22 63 2 10 98 2 0 114 99 4.71 1.54

記録 編集

背番号 編集

  • 69 (1991年 - 1994年)
  • 16 (1995年 - 1997年)
  • 51 (1998年 - 1999年)
  • 29 (2000年)
  • 110 (2001年 - 2011年)

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、91ページ
  2. ^ 広報一筋17年のマリーンズ榎氏がスカウト転任!千葉などを担当へ”. 千葉日報. 2018年1月25日閲覧。
  3. ^ ロッテ、榎チーフスカウトがスカウト部長に昇格!昨季引退の南&松田はプロスカウト就任発表スポニチアネックス 2022年1月10日

関連項目 編集

外部リンク 編集