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1994年の野球(1994ねんのやきゅう)では、1994年野球界における動向をまとめる。

競技結果

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日本プロ野球

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ペナントレース

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1994年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 70 60 0 .538 優勝
2位 中日ドラゴンズ 69 61 0 .531 1.0
3位 広島東洋カープ 66 64 0 .508 4.0
4位 ヤクルトスワローズ 62 68 0 .477 8.0
4位 阪神タイガース 62 68 0 .477 8.0
6位 横浜ベイスターズ 61 69 0 .469 9.0
1994年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 西武ライオンズ 76 52 2 .594 優勝
2位 オリックス・ブルーウェーブ 68 59 3 .5354 7.5
2位 近鉄バファローズ 68 59 3 .5354 7.5
4位 福岡ダイエーホークス 69 60 1 .5349 7.5
5位 千葉ロッテマリーンズ 55 73 2 .430 21.0
6位 日本ハムファイターズ 46 79 5 .368 28.5
終盤のセ・リーグ優勝争い等
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『プロ野球70年史』[1]は、この年の見出しを「10.8決戦とイチロー旋風」としている。

その10.8決戦のあったセ・リーグは、終盤に各チームの勝率が接近して、順位争いがプロ野球史上まれに見る混戦となった。

8月18日、巨人は中日を破ってマジックナンバー25を点灯させた。この時点で巨人の優勝が確実との見方もあった。また、巨人側から見ると、この試合は、このシーズン5勝を与えることとなった「苦手」今中慎二を攻略したという意味もある[2]

  • 8月18日時点でのセ・リーグ順位表は次のとおり。
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
1位 読売ジャイアンツ 58 42 0 .580 -
2位 中日ドラゴンズ 52 48 0 .520 6.0
3位 阪神タイガース 50 51 0 .495 8.5
4位 広島東洋カープ 48 50 0 .480 9.0
5位 横浜ベイスターズ 45 53 0 .459 12.0
6位 ヤクルトスワローズ 44 53 0 .454 12.5

ところが、巨人が7月から9月の各月とも負け越し、マジックナンバーは17まで減らしたものの、8月30日に中日に敗れて消滅した[3]。さらに、広島、中日とのゲーム差がすぐに近づいていった。

特に、中日は8月に8連敗し、監督の髙木守道にシーズン限りの解任を通告していた[4]。しかし、奮起して、9月を11勝3敗で[6]、9月に4勝10敗の巨人をとらえ、広島を優勝争いから脱落させた。9月28日、ナゴヤ球場での中日-巨人戦で、1回に立浪和義が巨人先発桑田真澄から放った本塁打による1点を先発郭源治から先発登板することもあった佐藤秀樹、さらに翌日の両チーム間の試合が台風接近により中止になることを見越して今中を抑えに投入して1-0で中日が勝利し、巨人と同率で並んだ。巨人の監督の長嶋茂雄は10月8日に「(9月29日に中止になった中日戦を)やっていたら中日の勢いからいってやられただろうし、(中略)まさにあの"ハリケーン"は神風だった」と振り返り、後年、落合博満は、この時期の巨人のチーム状態について「2試合とも中止になることを願っていた」と述べた[7][8][9]

その後両チームとも試合がなく迎えた9月30日、リーグは、この中止になった中日対巨人戦(第26回戦)を10月8日に組み込むことを含めた「追加日程」を発表した。この時点で、優勝争いは、同率で並び、ともに5試合を残していた巨人と中日にほぼ絞られていた。

10月6日は、一旦巨人が1ゲーム差をつけて迎えたが、中日が勝ち、巨人が敗れて、再び同率となった。結局両者とも同率で並んでから3勝1敗で8日の最終決戦を迎えた。

8日の決戦は、巨人が6-3で勝ち、優勝決定となった。先に解任通告を受けた高木監督については、終盤の優勝争いで、球団側が事実上、解任通告を撤回し、13日に同監督も辞意を撤回して、留任となった。

10.8決戦と同率最終戦での最下位決定戦
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1994年のセ・リーグは同率で並んだ2チームが最終戦で直接対戦して優勝が決定した(10.8決戦)。一方で最下位も同率で並んだ2チームが最終戦で直接対戦して決定した[10]

10月7日の時点で単独5位だった横浜ベイスターズは8日に試合の予定がなかったが、単独最下位だったヤクルトスワローズが同日に行われた129試合目で広島東洋カープに勝ったため、ヤクルトと横浜が61勝68敗の同率で並んだ。この時点で既に公式戦全日程を終了した広島の3位と阪神タイガースの4位は確定しており、両チームにとっての最終戦となる「ヤクルト対横浜」の直接対決で敗れたチームが最下位を確定することになった。この試合は10.8決戦と同様に、9月30日にセ・リーグから発表された「追加日程」に含まれていたもので、同年のリーグ公式戦最終試合でもあった。

10月9日に神宮球場で行われた試合はヤクルトが西村龍次、横浜が斎藤隆の先発で始まった。横浜は6回表に1点を先制したが、ヤクルトは8回裏に同点とすると、9回裏には城友博が横浜のリリーフ盛田幸妃から適時打を打ち、2-1でサヨナラ勝ち。勝利投手は高津臣吾、敗戦投手は斎藤隆。これによりヤクルトは阪神と並んで同率4位となり、横浜のリーグ最下位およびセ・リーグ全成績が確定した。

日本シリーズ

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1994年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月22日(土) 第1戦 西武ライオンズ 11 - 0 読売ジャイアンツ 東京ドーム
10月23日(日) 第2戦 西武ライオンズ 0 - 1 読売ジャイアンツ
10月24日(月) 移動日
10月25日(火) 第3戦 読売ジャイアンツ 2 - 1 西武ライオンズ 西武ライオンズ球場
10月26日(水) 第4戦 読売ジャイアンツ 5 - 6 西武ライオンズ
10月27日(木) 第5戦 読売ジャイアンツ 9 - 3 西武ライオンズ
10月28日(金) 移動日
10月29日(土) 第6戦 西武ライオンズ 1 - 3 読売ジャイアンツ 東京ドーム
優勝:読売ジャイアンツ(5年ぶり18回目)

個人タイトル

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  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 桑田真澄 巨人   イチロー オリックス  
最優秀新人 藪恵市 阪神   渡辺秀一 ダイエー  
首位打者 A.パウエル 中日 .324 イチロー オリックス .385
本塁打王 大豊泰昭 中日 38本 R.ブライアント 近鉄 35本
打点王 大豊泰昭 中日 107点 石井浩郎 近鉄 111点
最多安打 野村謙二郎 広島 169本 イチロー オリックス 210本
盗塁王 野村謙二郎 広島 37個 佐々木誠 西武 37個
最高出塁率 T.オマリー 阪神 .429 イチロー オリックス .445
最優秀防御率 郭源治 中日 2.45 新谷博 西武 2.91
最多勝利 山本昌広 中日 19勝 伊良部秀輝 ロッテ 15勝
最多奪三振 桑田真澄 巨人 185個 伊良部秀輝 ロッテ 239個
最高勝率 紀藤真琴 広島 .762 郭泰源 西武 .722
最優秀救援投手 高津臣吾 ヤクルト 27SP 赤堀元之 近鉄 33SP

ベストナイン

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  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 山本昌広 中日 伊良部秀輝 ロッテ
捕手 西山秀二 広島 吉永幸一郎 ダイエー
一塁手 大豊泰昭 中日 石井浩郎 近鉄
二塁手 和田豊 阪神 福良淳一 オリックス
三塁手 江藤智 広島 松永浩美 ダイエー
遊撃手 川相昌弘 巨人 広瀬哲朗 日本ハム
外野手 前田智徳 広島 イチロー オリックス
A.パウエル 中日 佐々木誠 西武
G.ブラッグス 横浜 K.ライマー ダイエー
指名打者   R.ブライアント 近鉄

高校野球

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  現在では夏の甲子園でも優勝するほどの強豪校の智弁和歌山が、横浜高校PL学園など、当時の強豪校を     

  破り、決勝では常総学院を7-5で破り初優勝となった。

  2007年佐賀北高校による「がばい旋風」より13年も前に、佐賀県勢初の優勝を遂げている。

  1907年に設立され、1920年県立高校となった佐賀商業の活躍は、佐賀県民の間で「奇跡」と呼ばれた。

メジャーリーグ

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選手会側が8月12日から232日間におよぶ史上最長のストライキ(1994年から1995年のMLBストライキ)に突入。その影響でワールドシリーズ1994年のワールドシリーズ)が90年ぶりに中止になってしまった。

できごと

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  • 6月8日 - 西武の鹿取義隆が東京ドームでの対日本ハム11回戦の一回裏無死一、二塁の場面で、腰痛で4球で降板した村田勝喜に代わって救援登板、9回最後まで投げて2-1で勝利投手となる[36]
  • 6月9日 - 阪神の石嶺和彦が岡山での対広島11回戦の四回表に9号2点本塁打を打ち、プロ通算250本塁打を達成[37]
  • 6月10日 - 中日は1991年オフに大洋を解雇され本年から打撃投手として採用していた中山裕章支配下選手登録し、中山は2年ぶりの現役復帰を果たした[38][39]
  • 6月11日
    • 中日の立浪和義がナゴヤ球場での対巨人10回戦で失策し、セ・リーグ記録を更新中だった二塁手の連続守備機会無失策が712で止まる[40]
    • 近鉄のラルフ・ブライアントが東京ドームでの対日本ハム11回戦の七回表に三振し、プロ野球通算1000奪三振を記録[41]
  • 6月12日 - 西武の石毛宏典が西武球場での対ダイエー11回戦でプロ通算1000得点を達成[42]
  • 6月16日 - 巨人の吉田修司福岡ダイエーホークス岸川勝也の交換トレードが成立し、両球団から発表される[43]
  • 6月18日 - ロッテの愛甲猛が千葉マリンスタジアムでの対ダイエー12回戦の四回裏に安打を打ち、プロ通算1000安打を達成[44]
  • 6月26日
    • 巨人の原辰徳が横浜スタジアムでの対横浜14回戦の一回表に二塁打を打ち、プロ通算3000塁打を達成[45]
    • 日本ハムのマット・ウインタースが東京ドームでの対オリックス15回戦の六回裏に12号3点本塁打を打ち、プロ野球通算150本塁打を達成[46]
  • 6月29日 - オリックスのイチローが日生球場での対近鉄12回戦で4打数4安打を打ち、打率が4割7厘に。60試合以上経過し規定打席に到達した打者で打率が4割を超えたのは89年の巨人のウォーレン・クロマティ以来史上5人目[47]
  • 8月1日 - ボルチモア・オリオールズのカル・リプケン・ジュニアがメトロドームでの対ツインズ戦に出場し、メジャー・リーグ通算2000試合連続出場を達成[60]
  • 8月2日 - 千葉ロッテマリーンズの監督の八木沢荘六が休養し、ヘッドコーチの中西太が監督代行に就任[61]
  • 8月9日 - 近鉄は仙台での対ロッテ18回戦に11対2で勝ち、球団タイ記録の12連勝[62]
  • 8月10日
    • オリックスのイチローが高松での対日本ハム22回戦の一回表に中前安打を打ち、プロ野球新記録の57試合連続出塁を達成[63]
    • 近鉄は仙台での対ロッテ19回戦に3対1で勝ち、球団新記録の13連勝[64]
  • 8月12日 - グリーンスタジアム神戸でのオリックス対近鉄16回戦で近鉄はオリックスに2対3で敗れ、連勝が13で止まる。オリックスの野田浩司が先発し、プロ野球タイ記録の1試合17奪三振[65]
  • 8月13日 - 巨人の桑田真澄が東京ドームでの対阪神21回戦に先発し、セ・リーグタイ記録の16奪三振[66]
  • 8月21日 - 第76回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、佐賀代表の佐賀商が鹿児島代表の樟南を8-4で破り初優勝。
  • 8月26日 - ロッテの西村徳文が千葉マリンスタジアムでの対ダイエー19回戦の八回裏に三塁盗塁を決め、プロ通算350盗塁を達成[67]
  • 8月30日 - 広島の江藤智が広島市民球場での対横浜ベイスターズ23回戦の8回裏に24号本塁打を打ち、日本プロ野球タイ記録、セ・リーグ新記録の月間16本塁打[68]
  • 10月1日 - ダイエーの秋山幸二が福岡ドームでの対日本ハム25回戦の8回裏に22号2点本塁打を放ち、プロ通算350本塁打を達成[76]
  • 10月2日 - 近鉄対西武26回戦が藤井寺球場で行われ西武が近鉄に8-2で勝利し、パ・リーグ優勝達成。パ・リーグ史上初めてリーグ5連覇を達成[77]
  • 10月6日 - 神宮球場でのヤクルト対巨人26回戦で巨人がヤクルトに6対2にで敗れ[78]、ナゴヤ球場での中日対阪神26回戦で中日が10対2で勝利し[79]、巨人と中日が共に69勝60敗で並ぶ。これで8日のナゴヤ球場での中日対巨人26回戦は、勝った方がリーグ優勝という大一番となり、1973年以来プロ野球史上2度目の最終決戦となる[80]
  • 10月8日 - ナゴヤ球場で中日対巨人26回戦が行われ、巨人が6-3で勝利し、27度目のセ・リーグ優勝達成(10.8決戦[81]
  • 10月9日
    • セ・リーグは全日程が終了[82]
    • オリックスのイチローがグリーンスタジアム神戸での対近鉄26回戦で4打数2安打を記録し、張本勲が1970年に記録した3割8分3厘を更新するパ・リーグ新記録の3割8分5厘を記録[83]
    • ヤクルトは角富士夫が今季限りで現役引退すると発表[84]
  • 10月10日 - パ・リーグは全日程が終了[85]
  • 10月12日 - ダイエーは福岡市内のホテルで記者会見し、新監督に野球解説者の王貞治が就任すると正式発表[86]
  • 10月13日 - 巨人の西本聖が今季限りで現役引退すると表明[87]
  • 10月15日 - 日本ハムは都内のホテルで新監督に野球解説者の上田利治が就任したと発表[88]
  • 10月19日 - 中日は小松辰雄が今季限りで現役引退し、来シーズンより2軍投手コーチに就任すると発表[89]
  • 10月29日 - 日本シリーズの第6戦が東京ドームで行われ、巨人が西武に3対1で勝利し、日本シリーズ優勝[90]
  • 10月31日
    • 1994年度のプロ野球セ・パ両リーグの最優秀選手、最優秀新人、ベストナインを決める記者投票の開票が東京・銀座の朝日生命ビルで行われ最優秀選手にセは巨人の桑田真澄、パはオリックスのイチロー、最優秀新人はセが阪神の藪恵一、パは渡辺秀一が選出される[91][92]
    • 広島の長冨浩志と日本ハムの木村拓也プラス金銭のトレードが成立したと広島、日本ハム両球団が発表[93]
  • 12月1日 - 阪神の郭李建夫が球団との契約更改交渉に父親と同伴で臨む。球団代表の沢田邦昭は父親の同伴については通訳であるとの認識を示し、契約更改では第三者の同席は基本的に認められず、今回は特殊なケースであるとの見解を示す[108]
  • 12月5日 - 巨人は東京都内のホテルにてフリー・エージェント宣言していた前広島の川口和久と前ヤクルト広沢克己の入団を正式に発表[109]
  • 12月6日 - ダイエーは福岡市内のホテルにて西武からFA宣言していた工藤公康の入団を発表[110]
  • 12月13日

誕生

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死去

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出典

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  1. ^ ベースボール・マガジン社 編『プロ野球70年史 1934→2004』 歴史編、ベースボール・マガジン社、2004年12月、620頁。ISBN 4-583-03808-9 
  2. ^ 8月19日付日本経済新聞33面 縮刷版1994年10月号p.825
  3. ^ 8月31日付新聞各紙(日本経済新聞縮刷版1994年8月号p.1409ほか)
  4. ^ 週刊ベースボール』1995年1月2・9日号、ベースボール・マガジン社、1995年、36頁。 
  5. ^ 2004 & 歴史編, p. 627.
  6. ^ 『プロ野球70年史』は「山本昌が7連勝、郭源治がフル回転、大豊泰昭のバットが火を噴いた」と表現している[5]
  7. ^ 落合博満『プロフェッショナル』ベースボール・マガジン社、1999年12月、[要ページ番号]頁。ISBN 4-583-03621-3 
  8. ^ 今中慎二『悔いは、あります。』ザ・マサダ、2002年、126-149頁。ISBN 978-4-88397-078-0 
  9. ^ 10月9日付読売新聞18面14版(巨人軍5000勝の記憶 ISBN 978-4-583-10029-6 のDVDで確認)
  10. ^ 10月10日付日本経済新聞 スポーツ24面縮刷版1994年10月号p.486「勝者が4位タイ、敗者が最下位となる"大一番"」
  11. ^ a b c ベースボールマガジン 1995, p. 123.
  12. ^ 読売新聞1994年1月20日19面「王、与那嶺氏野球殿堂入り 『ビッグ1』即当選 資格得て初の選考 ともに巨人OB」読売新聞1994年1月p867
  13. ^ 読売新聞1994年1月30日15面「岡田、オリックスへ 年俸3000万円、背番号『10』」読売新聞1994年1月p1335
  14. ^ 【1月28日】1994年(平6) キャンプイン4日前 岡田彰布“復帰”決定”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2010年1月12日). 2016年1月2日閲覧。
  15. ^ a b ベースボールマガジン 1995, p. 124.
  16. ^ a b 大修館書店刊「近代体育スポーツ年表1800-1907」 281ページ
  17. ^ a b ベースボールマガジン 1995, p. 125.
  18. ^ 読売新聞1994年4月10日1面「プロ野球 開幕」読売新聞縮刷版1994年4月p441
  19. ^ 読売新聞1994年4月10日29面「伊東逆転サヨナラ満塁弾 野茂、8回まで無安打が・・」読売新聞縮刷版1994年4月p469
  20. ^ 読売新聞1994年4月10日29面「西崎が1000奪三振」読売新聞縮刷版1994年4月p469
  21. ^ 読売新聞1994年4月11日夕刊17面「石毛が200犠打」読売新聞縮刷版1994年4月p497
  22. ^ 読売新聞1994年4月14日17面「オリックス・福良が二塁手連続守備機会無失策の新記録」読売新聞縮刷版1994年4月p619
  23. ^ 読売新聞1994年4月17日17面「巨人・落合が300二塁打」読売新聞縮刷版1994年4月p767
  24. ^ 読売新聞1994年4月20日14面「佐藤完封 150勝」読売新聞縮刷版1994年4月p906
  25. ^ 読売新聞1994年4月23日15面「川相が犠打のセ・リーグ通算最多タイ記録」読売新聞縮刷版1994年4月p1055
  26. ^ 『ベースボールマガジン』、ベースボール・マガジン社、2012年11月、72頁。 
  27. ^ 読売新聞1994年4月29日17面「巨人・川相が通算265犠打のセ・リーグ新記録」読売新聞縮刷版1994年4月p1339
  28. ^ 読売新聞1994年5月5日19面「西武・清原が250本塁打」読売新聞縮刷版1994年5月p135
  29. ^ 読売新聞1994年5月5日19面「日本ハム・大島が史上最年長満塁本塁打」読売新聞縮刷版1994年5月p135
  30. ^ 読売新聞1994年5月7日19面「巨人・斎藤が1000奪三振」読売新聞縮刷版1994年5月p171
  31. ^ 読売新聞1994年5月12日17面「4人"退場"神宮大乱 2回、村田が頭に死球 7回、西村再び危険球 グラッデン激怒 殴られた中西も」読売新聞縮刷版1994年5月p393
  32. ^ 読売新聞1994年5月12日17面「ヤクルト、広永を獲得」読売新聞縮刷版1994年5月p393
  33. ^ 読売新聞1994年5月19日1面「槙原(巨人)完全試合 16年ぶり」読売新聞縮刷版1994年5月p711
  34. ^ 読売新聞1994年5月19日21面「巨人・屋敷が1500試合出場」読売新聞縮刷版1994年5月p731
  35. ^ 読売新聞1994年6月1日19面「巨人・槙原が1500奪三振」読売新聞縮刷版1994年6月p19
  36. ^ 読売新聞1994年6月9日20面「鹿取"完投"西武並ぶ 村田4球降板アクシデント 2回以降無安打」読売新聞縮刷版1994年6月p404
  37. ^ 読売新聞1994年6月10日18面「阪神・石嶺が通算250号」読売新聞縮刷版1994年6月p454
  38. ^ 『中日新聞』1994年6月11日朝刊第一スポーツ面35面「中山投手と選手契約 中日 2年半ぶり現役復帰」
  39. ^ 『読売新聞』1994年6月11日東京朝刊スポーツ面A欄17面「中日・中山裕章投手を選手登録」
  40. ^ 読売新聞1994年6月12日26面「中日・立浪の連続守備機会無失策がストップ」読売新聞縮刷版1994年6月p558
  41. ^ 読売新聞1994年6月12日26面「近鉄・ブライアントが1000奪三振」読売新聞縮刷版1994年6月p558
  42. ^ 読売新聞1994年6月13日夕刊17面「西武・石毛が1000得点」読売新聞縮刷版1994年6月p597
  43. ^ ベースボールマガジン 1995, p. 130.
  44. ^ 読売新聞1994年6月19日21面「ロッテ・愛甲が1000安打」読売新聞縮刷版1994年6月p889
  45. ^ 読売新聞1994年6月27日17面「巨人・原が3000塁打」読売新聞縮刷版1994年6月p1265
  46. ^ 読売新聞1994年6月27日17面「日本ハム・ウインタースが通算150本塁打」読売新聞縮刷版1994年6月p1265
  47. ^ 読売新聞1994年6月30日17面「4の4 イチロー4割浮上」読売新聞縮刷版1994年6月p1437
  48. ^ 【7月1日】1994年(平6) 史上初 “怪腕”野茂英雄 16四球でも完投勝利”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2011年7月1日). 2016年1月2日閲覧。
  49. ^ 読売新聞1994年7月7日17面「桑田100勝 節目は『第2の故郷』で完投」読売新聞縮刷版1994年7月p323
  50. ^ 読売新聞1994年7月8日16面「ロッテ・平野が1500安打」読売新聞縮刷版1994年7月p378
  51. ^ 読売新聞1994年7月14日17面「近鉄さく烈52塁打 7発23安打17点 石井2発5打点 B砲2発4打点」読売新聞縮刷版1994年7月p657
  52. ^ 読売新聞1994年7月18日16面「西武・工藤が投手が通算1500投球回」読売新聞縮刷版1994年7月p852
  53. ^ 読売新聞1994年7月23日15面「ロッテ・宇野が引退」読売新聞縮刷版1994年7月p1109
  54. ^ ベースボールマガジン 1995, p. 132.
  55. ^ 読売新聞1994年7月27日15面「阪神・和田が1000安打」読売新聞縮刷版1994年7月p1287
  56. ^ 読売新聞1994年7月29日20面「ヤクルト・広沢が千試合連続出場」読売新聞縮刷版1994年7月p1392
  57. ^ 読売新聞1994年7月30日14面「完全試合 ロジャース快挙 大リーグ14人目 ルーキーが超美技"アシスト"」読売新聞縮刷版1994年7月p1438
  58. ^ 読売新聞1994年8月1日16面「オリックス・福良の連続無失策記録がストップ」読売新聞縮刷版1994年8月p16
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  109. ^ 読売新聞1994年12月6日25面「『巨人・川口、広島』誕生 入団を発表 古巣との対決に意欲」読売新聞縮刷版1994年12月p299
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参考文献

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