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横浜市立脳卒中・神経脊椎センター

横浜市立脳卒中・神経脊椎センター(よこはましりつのうそっちゅう・しんけいせきついセンター)は、神奈川県横浜市磯子区にある、横浜市立医療機関である。脳血管疾患、神経疾患、脊椎・脊髄疾患に特化した病院であり、1999年(平成11年)に開院した。

Japanese Map symbol (Hospital) w.svg 横浜市立脳卒中・神経脊椎センター
Yokohama Brain and Spine Center
Yokohama Brain and Spine Center.jpg
情報
前身 横浜市万治病院
老人リハビリテーション友愛病院
横浜市立脳血管医療センター
標榜診療科 神経内科、循環器内科、脳神経外科、脳神経血管内治療科、脊椎脊髄外科、泌尿器科、リハビリテーション科、放射線科、麻酔科
許可病床数 300床
開設者 横浜市
管理者 齋藤知行(病院長)
開設年月日 1999年(平成11年)8月1日
所在地
235-0012
位置 北緯35度25分20.7秒 東経139度37分6秒 / 北緯35.422417度 東経139.61833度 / 35.422417; 139.61833 (横浜市立脳卒中・神経脊椎センター
Yokohama Brain and Spine Center
)
座標: 北緯35度25分20.7秒 東経139度37分6秒 / 北緯35.422417度 東経139.61833度 / 35.422417; 139.61833 (横浜市立脳卒中・神経脊椎センター
Yokohama Brain and Spine Center
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二次医療圏 横浜南部2次保健医療圏[1]
PJ 医療機関
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目次

沿革編集

横浜市万治病院編集

当時の横浜港では検疫制度が未熟であったことから、1870年明治3年)には天然痘1877年にはコレラが流行するなど、明治初期の横浜では様々な感染症が流行した。ヘスペリア号事件をきっかけにして、1879年(明治12年)に久良岐郡吉田新田に病者収容所として開設された。1883年(明治16年)には神奈川県に、1891年(明治24年)3月には横浜市に移管された。1897年(明治30年)に「横浜市伝染病院」、1900年(明治33年)には「横浜市万治病院」と名称を変えた[2]。1922年(大正11年)に滝頭町に移転し[3]、感染症専門病院として運営された万治病院であるが、横浜市立市民病院に感染症医療機能が集約され、1991年(平成3年)3月31日に閉院となった[4]

横浜市老人リハビリテーション友愛病院編集

横浜電気鉄道横浜市交通局の前身)の頃にも社員とその家族を対象とした小規模な診療所があったが、施設・設備の拡充のため1936年(昭和11年)8月6日に横浜市電気局共済組合(現 横浜市交通局厚生会)により、旧従業員宿舎(現 横浜市営バス滝頭営業所敷地内)を利用した、横浜市電気局共済組合友愛病院が設立された。1945年(昭和20年)5月には、現在は横浜市立滝頭小学校がある場所に移転。横浜大空襲では一般の患者の治療にもあたった。1946年(昭和21年)4月1日には電気局共済組合が電気局厚生会になり、横浜市電気局厚生会友愛病院に名称変更。拡張を重ね、一般の患者も受け入れるようになったことから事実上地域医療を担う拠点となり、1950年(昭和25年)には生麦診療所を開設(1960年3月閉院)。1972年(昭和47年)4月1日に横浜市衛生局に売却され、1974年から横浜市老人リハビリテーション友愛病院として運営された[5]

横浜市立脳卒中・神経脊椎センター編集

滝頭2丁目にあった、横浜市老人リハビリテーション友愛病院は老朽化・狭隘化が進み、1991年10月に『友愛病院基本構想検討委員会報告書』がまとめられた[6]。これに基づき横浜市老人リハビリテーション友愛病院は1999年4月1日に閉院。万治病院跡に1999年8月に「横浜市立脳血管医療センター」と老人保健施設が開院した。脳血管疾患に対し「救命だけでなく、予防を含み、発症直後からの早期リハビリテーションを重点的に行う」ことを理念としていたが、チーム医療が十分機能していないことや看護師の退職率の高さなど必ずしも十分なものではなかった[6]。2015年1月1日、脳血管疾患に加え神経疾患脊椎脊髄疾患へ医療機能を拡充し、名称を「横浜市立 脳卒中・神経脊椎センター」に改めた[7]。病床数は300あり、そのうち約200床が神経疾患および脊椎疾患、約100床はリハビリテーション専用として運用されている。小児の脊椎側彎症の治療も特徴の一つである[8]

交通アクセス編集

脚注編集

  1. ^ “横浜市 病院経営局長の城博俊氏、「20年開院の市民病院再整備事業」講演”. 産業タイムズ社. (2015年5月12日). https://www.sangyo-times.jp/article.aspx?ID=1456 2019年1月18日閲覧。 
  2. ^ 肥塚龍『横浜開港五十年史 下巻』 横浜商工会議所、1909年、273ページ
  3. ^ (磯子の史話 1978, pp. 288-292)
  4. ^ 磯子区歴史年表 昭和46年~平成10年”. 磯子区役所区政推進課 (2017年2月13日). 2019年1月18日閲覧。
  5. ^ 「第4部 関連団体」『横浜市営交通八十年史』 横浜市交通局、2001年3月、643-645ページ
  6. ^ a b 横浜市立脳血管医療センター医療機能検討会議報告書 (PDF)”. 横浜市立脳血管医療センター医療機能検討会議 (2005年8月). 2019年1月18日閲覧。
  7. ^ “横浜市立脳血管医療センターは平成27年1月1日から横浜市立 脳卒中・神経脊椎センターに名称変更します。” (pdf) (プレスリリース), 横浜市病院経営局, (2014年12月17日), http://www.city.yokohama.lg.jp/byoin/kisya/h26/h26-pdf-kisya/141217nou-meisyou.pdf 2019年1月18日閲覧。 
  8. ^ インタビュー 横浜市立脳卒中・神経脊椎センター病院長 山本勇夫”. 横浜中法人会 (2015年12月). 2019年2月19日閲覧。

参考文献編集

  • 磯子区制50周年記念事業委員会『磯子の史話』、1978年6月30日。

関連項目編集

外部リンク編集