池貝庄太郎
池貝 庄太郎(いけがい しょうたろう)
- 初代 池貝 庄太郎(1869年 - 1934年)
- 日本の実業家、技術者、工学者。二代目池貝庄太郎の父。本項で取り扱う。墓所は青山霊園。
- 二代目 池貝 庄太郎(1905年 - )
- 日本の実業家。初代池貝庄太郎の子。
池貝 庄太郎(いけがい しょうたろう、1869年11月13日《明治2年10月10日》 - 1934年《昭和9年》7月28日)は、日本の実業家、技術者、工学者(機械工学)。族籍は千葉県平民[1]。
西村鉄工所、田中製作所での勤務を経て池貝工場を創業し、合資會社池貝鐵工所社長、東京高等工業学校教授、株式會社池貝鐵工所社長などを歴任した。
来歴
編集生い立ち
編集東京府東京市本郷区妻恋町生まれ[2]。あるいは千葉県鋸南町下佐久間生まれとも[3]。池貝重右衛門の長男[1]。池貝家はもと安房加知山藩主酒井家の家臣である[1]。
廃藩後の生活難から1882年(明治15年)に横浜の西村鉄工所(西村機械製造所)の徒弟となる[4]。1886年(明治19年)、田中製作所(後の芝浦製作所、現在の東芝の前身)の旋盤工となる。ここで旋盤の修理をするうちに構造を理解した。
実業家として
編集1889年(明治22年)に弟ら4人で東京芝区金杉川口町に池貝工場を創業し独立。同年に国産第1号の英国式9フィート旋盤を2台製作した[5]。その後、1895年(明治28年)にスチームエンジンを製作、1896年(明治29年)国産第1号の石油エンジンを製作、1897年(明治30年)石炭ガスを燃料とするガスエンジンを製作するなど動力機関の研究開発を進めた。1905年(明治38年)には独自の技術を用いて池貝式標準旋盤[6]を開発。
1906年(明治39年)、池貝工場を合資会社化し池貝鐵工所に改組した。同年には東京高等工業学校(現在の東京工業大学)の教授に就任。1907年(明治40年)には鉄道車両の製造に進出。
1913年(大正2年)、池貝鐵工所を株式会社化した。1915年(大正4年)には旋盤をイギリス、ロシアに輸出するなど海外進出も果たす。1920年(大正9年)には国産第1号のエアインジェクション・ディーゼルエンジンを開発、1926年(昭和元年)に国産第1号の無気噴油ディーゼルエンジンを開発。池貝鐵工所を船舶用ディーゼルエンジンの有力メーカーに発展させた。この他、国産第1号の印刷輪転機など、数々の工作機械、産業機械、エンジンを開発し、多くの特許を取得。日本近代産業史において、生産技術の面からの功績は特筆すべきものがある[要出典]。1928年(昭和3年)に緑綬褒章を受章。1934年(昭和9年)、脳溢血と肺炎のため死去[7]。
人物
編集略歴
編集栄典
編集家族・親族
編集実弟の池貝喜四郎は池貝鉄工所の副社長を務めた。喜四郎の娘婿・日比谷三郎は日比谷平左衛門の孫[8]。子の池貝勝雄が2代目の池貝庄太郎を襲名している。
系譜
編集池貝喜四郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
池貝重右衛門 | 池貝庄太郎 | 池貝庄太郎 (2代目) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
池貝庄人 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
片倉俊太郎 | 片倉直人 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
直人の長女 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
福太郞の二女 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
尾澤晴海 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
尾澤金左衛門 | 尾澤福太郞 | 福太郞の長女 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
尾澤虎雄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
編集- ^ a b c 『人事興信録 第7版』い152頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月20日閲覧。
- ^ a b 『日本ダイレクトリー 御大典紀念』31 - 34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月20日閲覧。
- ^ 池貝庄太郎特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム、2009年6月11日
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 82頁。
- ^ 国立科学博物館収蔵品となっている。
- ^ 英国式と米国式の折衷方式であったためアイノコ旋盤と呼ばれた。
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)3頁
- ^ 池貝秀雄『人事興信録 第14版 上』1943
参考文献
編集- 清田伊平編『日本ダイレクトリー 御大典紀念』甲寅通信社編集部、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。