浪人街』(ろうにんがい)は、1990年(平成2年)8月18日に公開された黒木和雄監督の日本剣戟映画である。また、マキノ正博監督により1928年(昭和3年)制作・公開された『浪人街 第一話 美しき獲物』の4度目のリメイク作品になる。「日本映画の父・牧野省三追悼六十周年記念作品」としてマキノ正博(マキノ雅広名義)総監修のもとで制作された。

浪人街
監督 黒木和雄
脚本 笠原和夫
原作 山上伊太郎
出演者 原田芳雄
石橋蓮司
樋口可南子
勝新太郎
音楽 松村禎三
撮影 高岩仁
製作会社 山田洋行ライトビジョン
松竹
日本テレビ放送網
配給 松竹
公開 日本の旗 1990年8月18日
上映時間 117分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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概要 編集

もともとはマキノ正博監督によるセルフリメイクとして企画された。しかし、マキノの健康上の理由で断念[1]。企画を進めた鍋島壽夫は『TOMORROW 明日』(1988年)で組んだ黒木和雄に監督を打診。黒木は『キネマ旬報』のベストワンにも輝いた名作のリメイクは荷が重いと躊躇ったものの、「マキノさんがもう、体を悪くなさって「自分はとてもリメイクできない」と。「黒木君やってもいいよ」っていうようなことをおっしゃって戴いて。マキノさんは僕の映画を見ていまして、『あるマラソンランナーの記録』が大好きなんですよ。「あの監督だったら、『浪人街』撮れるよ」って、どこで「だったら」なのかわかりませんけども(笑)」[2]と、マキノの後押しもあって監督を引き受けることを決断。マキノの快諾も得て「日本映画の父・牧野省三追悼六十周年記念作品」として制作されることになった。

なお、本作の公開を目前にした1990年1月16日、赤牛弥五右衛門役の勝新太郎が旅行先のアメリカ合衆国ハワイ州ホノルル国際空港で下着にマリファナコカインを入れていたとして現行犯逮捕されるという緊急事態が発生。そのため、公開は先送りとなり、ようやく8月18日になって公開に漕ぎ着けた。この経緯について黒木和雄は「あの勝新太郎の麻薬事件で(笑)、半年オクラでした」[2]と語っている。

その後、勝は活躍の場を舞台に移し、映画出演は本作が最後となった。

ストーリー 編集

キャスト 編集

スタッフ・作品データ 編集

脚注 編集

  1. ^ 公式パンフレットの「解説」によれば「昭和63年、ファン・関係者の熱い期待を受けて、“マキノ監督で再度、トーキー・カラーのリメイクを…”という話が持ち上がったが、健康上の理由でやむなく断念された」という。
  2. ^ a b 日本のドキュメンタリー作家インタビュー No. 16 黒木和雄”. 山形国際ドキュメンタリー映画祭. 2023年3月21日閲覧。

外部リンク 編集