消防車(しょうぼうしゃ)は、消防車両の一種であり、火災その他災害に際してその鎮圧や防御を行う際に使用される特殊な装備を持つ車両である。自動車のない時代から消防車は存在し、馬車人力車が用いられていた。自動車が発明されてからは自動車が主流となっている。

日本国内の消防車については日本の消防車を参照。

目次

歴史編集

 
ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州ザーレムの消防博物館収蔵の17世紀の消火活動の絵。手動式消防ポンプが使用されている。

消防車に搭載される消防ポンプの歴史は、紀元前245年アレクサンドリアクテシビオスの発明したポンプに見ることができる。クテシビオス以前にも放水具と呼ばれるは存在するが、機構は幼稚であり、今日の消防ポンプとのつながりを見出すのは困難である[1]。同様のポンプをクテシビオスの弟子と言われるヘロンも発明している。16世紀になると蒸気機関を用いて、12メートル以上の高さまで放水するポンプが発明されたことが文献に記されており「fire engine」と呼ばれている。ただし、この放水ポンプが携帯可能であったのかは、定かではない。

1721年と1725年にイギリス、ロンドンでリチャード・ニューシャム英語版が手動消防ポンプ搭載の消防車に関する特許を出願し、すぐにイギリスにおける消防車のシェアを支配した。ニューシャムの消防車は1731年にはニューヨーク市でも採用されている。

1802年にリチャード・トレビシックが世界初の実動する蒸気機関車を発明し、1814年ジョージ・スチーブンソンが蒸気機関車を実用的なものにした。その後、蒸気機関の改良は進み、1829年には、イギリスにおいてジョン・ブレースウェイト英語版ジョン・エリクソンが、蒸気消防車の製作に成功する。2人が製作した消防ポンプは10馬力で、毎分900リットルから1200リットルの水を約30メートルの高さまで放水できるものであり、消防機器の機械化第1号と言える[2]

1840年にアメリカ合衆国はイギリス人技師のポール・ラムゼイ・ホッジ(Paul Ramsey Hodge)を招き、ニューヨーク市公会堂の国旗掲揚塔を越える放水能力を持つ蒸気ポンプの製作を依頼する。ホッジは1841年3月末に蒸気ポンプを完成させ、公開試験で性能を披露した。このホッジの蒸気ポンプは、自力走行できる性能を持っていたため、消防自動車第1号と言える[2][3]

日本では、1870年に東京府消防局がイギリスから蒸気ポンプを輸入したのを始め、1899年には日本製蒸気ポンプを市原ポンプ製作所が製作している[2]

手押し式ポンプに比べ、数倍の性能をもつ蒸気ポンプだが、普及はスムーズには進まなかった。イギリス(ロンドン)では充分な水の供給ができないことと、一般市民と火災保険会社が対立したことなどから蒸気ポンプは不採用となった[2]。アメリカ合衆国では、蒸気ポンプの使用によって、これまでの手押し式ポンプが無用となることや、消防職員の仕事がなくなるのではないかといった理由からニューヨーク市消防局で反対の声が起こり、やはり蒸気ポンプの採用は見送られた[2]。日本の場合、輸入した蒸気ポンプは東京市内の道路が狭くて効果的に移動できないこと、操作が複雑で十分に使いこなせないことなどから、1876年には北海道支庁の函館に売却される。しかし、函館でも十分な利用は行えず、1885年には盛岡市に再売却されてしまった[2]

その後、技術進歩もあって、日本においては1911年に大阪市がドイツからベンツ社製の消防ポンプ車を輸入し[4]、1914年に開催された東京大正博覧会でのイギリス・メリーウェザー英語版社、ドイツ・ベンツ社の消防ポンプ車出展を見た横浜市がメリーウェザー社の物を、名古屋市がベンツ社製の物を購入した[2][5]。1917年には東京市もアメリカン・ラフランス社から消防ポンプ車を購入する。日本製消防ポンプ車の製作は1939年からとなる[2]

日本の消防車は赤い塗装であるが、これは1911年に大阪市が輸入した消防車が赤色であったためである。1951年制定の道路運送車両法保安基準第49条第2項によって、消防自動車は朱色であることが法律上定められた[4]。日本以外においても、消防車に赤い色を採用している地域はイギリス、フランス、スイス、オーストリアなど多いが、ドイツは赤または紫色を採用し、アメリカでは各消防局ごとに色が異なる。

ギャラリー編集

構造・機能編集

運用編集

日本の消防車編集

出典・脚注編集

関連編集