深野弘行

日本の官僚 (1957-)

深野 弘行(ふかの ひろゆき、1957年1月30日 - )は、元経産官僚伊藤忠商事関西担当専務理事、元関西経済同友会代表幹事

ふかの ひろゆき

深野 弘行
生誕 (1957-01-30) 1957年1月30日(67歳)
国籍 日本の旗 日本
出身校 慶應義塾高等学校卒業
慶應義塾大学経済学部経済学科卒業
深野和夫(元山陰合同銀行頭取・島根経済同友会代表幹事
テンプレートを表示

人物

編集

深野和夫山陰合同銀行頭取・島根経済同友会代表幹事の子として生まれた[1]

慶應義塾大学を経て1979年、通商産業省に入省。1987年貿易局輸出課課長補佐時代、東芝機械ココム違反事件の対応で連日午前4時までの勤務が続き体調を崩す。1990年代、秋田県庁商工労働部長として手腕を発揮して、秋田県内において民間主体のプロバイダー組織である「インターネット協議会」を推進し秋田県内のインターネットの普及に尽力した。白神ネット、インターネット鹿角、きたうら花ネットなど、国内でも草分け的なプロバイダーが誕生した。特に、のちにNPO法人となる「インターネット鹿角」では、鹿角市が主会場となる冬季国体において、リアルタイムで選手結果を配信し大きな話題となった。

2000年には保安院設立を担当する大臣官房参事官を務めた。2001年中央省庁再編にともない、通商産業省は廃止され、新たに経済産業省が設置された。経済産業省では、2001年1月の原子力安全・保安院発足時に原子力などの安全政策を立案する企画調整課長。その後、資源エネルギー庁に戻り、原子力を含むエネルギー政策にかかわる総合政策課長など推進側と規制側を行き来した。2012年4月18日、国会事故調東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)第8回委員会に参考人として招致された(当時の映像は国会図書館にアーカイブされている[2]。)。

鉄道ファンとしても知られる[3]

略歴

編集
  • 1957年 - 誕生。
  • 1979年 - 通商産業省入省(基礎産業局総務課)。[4]
  • 1986年7月 貿易局輸出課総括班長
  • 1988年6月 米国スタンフォード大学客員研究員
  • 1989年6月 資源エネルギー庁国際資源課長補佐
  • 1990年5月 産業政策局産業資金課長補佐
  • 1991年5月 生活産業局総務課長補佐
  • 1992年5月 産業政策局流通産業課商業集積推進室長
  • 1994年4月 秋田県商工労働部次長
  • 1996年4月 秋田県商工労働部長
  • 1998年6月 資源エネルギー庁石油部開発課長
  • 2000年7月 経済産業省大臣官房参事官(保安院設立担当)
  • 2001年 - 原子力安全・保安院企画調整課長
  • 2003年 - 資源エネルギー庁総合政策課長
  • 2004年 - 大臣官房審議官(地球環境問題担当)
  • 2006年 北海道経済産業局長
  • 2008年 - 原子力安全・保安院次長
  • 2009年 - 近畿経済産業局長
  • 2010年7月 - 商務流通審議官兼務原子力安全・保安院原子力災害特別対策監
  • 2011年8月 - 原子力安全・保安院長
  • 2012年9月 - 特許庁長官
  • 2013年6月 - 退官
  • 2013年10月 - 伊藤忠商事顧問[5]
  • 2014年4月 - 伊藤忠商事執行役員 機械カンパニープレジデント補佐[6]
  • 2016年4月 - 伊藤忠商事常務執行役員 社長補佐(関西担当)[7]
  • 2018年4月 - 伊藤忠商事常務理事 社長特命(関西担当)[8]
  • 2019年4月 - 伊藤忠商事専務理事 社長特命(関西担当)[9]
  • 2019年5月 - 関西経済同友会代表幹事[10]
  • 2021年5月 - 関西経済同友会特別幹事(現職)
  • 2021年6月 - 伊藤忠商事理事[11]公益財団法人日本デザイン振興会理事長[12](現職)

脚注

編集

関連項目

編集
官職
先代
瀬戸比呂志
  経済産業省商務流通審議官
第54代:2010年 - 2011年
次代
豊永厚志
先代
寺坂信昭
  原子力安全・保安院院長
第6代:2011年 - 2012年
次代
(廃止)
先代
岩井良行
  特許庁長官
2012年 - 2013年
次代
羽藤秀雄
その他の役職
先代
池田博之
関西経済同友会代表幹事
2019年度 - 2020年
次代
古市徤
先代
大井篤
日本デザイン振興会理事長
2021年 -
次代