滝野 遊軒(たきの ゆうけん、元禄8年(1695年[1] - 宝暦12年6月18日1762年8月7日))は、江戸時代柔術家通称専右衛門貞高挙嶢古月斎蔵六舎丹波国出身とも京都出身ともいわれる。

初め楊心流の山本為左衛門[2]、次いで起倒流堀田頼康に入門。21歳で免許を受けた。堀田の死後、1724年享保9年)京都に道場を開いた。

九条師孝の簾中(浅野綱長息女)に仕えたのち、禁中に勤めるが、1744年、起倒流を広めるため、江戸西久保天徳寺前で指南をした。

1751年に一時京都に帰るが、宝暦事件が起こり、廷臣の武芸停止令の発布により大坂へ移る。だがここでも武芸講師の所払令がでて、再び江戸に戻った。

晩年は多くの門人も離れ窮乏していたが、高弟の鈴木邦教(清兵衛)が世話をしたので、鈴木に流儀を譲った。

1762年(宝暦12年)死去。入谷(現 東京都台東区入谷)の全得寺に葬られた。

門人は京、大坂、江戸で計5700人を超え、鈴木邦教、九鬼隆直犬上永保竹中鉄之助蒲生豊郷を輩出した。

脚注 編集

  1. ^ 元禄3年(1690年)生まれ説もあり。
  2. ^ 綿谷雪は、これを真神道流の山本左衛門の誤記としている。(綿谷雪 『完本 日本武芸小伝』 国書刊行会 2011年)

参考文献 編集

  • 綿谷雪 『完本 日本武芸小伝』 国書刊行会 2011年
  • 綿谷雪・山田忠史 編 『増補大改訂 武芸流派大事典』 東京コピイ出版部 1978年