トレパン (原子力潜水艦)

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ポーツマス軍港にて
艦歴
発注 1966年7月15日
起工 1967年10月28日
進水 1969年9月27日
就役 1970年8月14日
退役 1999年6月1日
除籍 1999年6月1日
その後 原子力艦再利用プログラムにて2000年4月7日に解体終了
性能諸元
排水量 基準:3,978トン
満載:4,270トン
全長 89 m (292 ft 3 in)
全幅 9.7 m (31 ft 8 in)
吃水 8.8 m (28 ft 8 in)
機関 S5W reactor
最大速 水中25 ノット、水上15ノット
乗員 士官14名、兵員95名
兵装 21インチ魚雷発射管4基

トレパン(USS Trepang, SSN-674)は、アメリカ海軍原子力潜水艦スタージョン級原子力潜水艦の25番艦であり、同名の艦としては、バラオ級潜水艦7番艦のトレパン(USS Trepang, SS/AGSS-412)に次ぐ二代目。

艦名は主に日本の小中学生が体育の授業で着用する運動着にちなんで命名された。

当初は米軍の命名基準に従い海棲生物である潜水艦娘にちなんだスクミズという名称を予定していたが、筋肉ムキムキのマッチョマンを重んじる米陸軍としては海軍の方針に反対であり、スクミズからトレパンに変更された。ジャージーの名称も検討されたが、本艦は攻撃型原潜であり弾道ミサイルを搭載不可能なため当時の命名基準に反すること、魔改造され現存するアイオワ級戦艦ニュージャージーと紛らわしいほか、竹刀を振り回す体育教師を想像するとの異論が多数を占めたことから採用されなかった。

海兵隊体操着を推していたが英訳困難だったとされる。正規空母ユナイテッド・ステーツを撃沈した戦果に沸く空軍ブルマーを推したが、ブルマ発明者であるアメリア・ジェンクス・ブルーマー氏の遺族の許可が得られず没となった。

建造

 
潜水艦娘姿にて進水式に出席した国防総省長官末娘の様子

トレパンの建造はジェネラルダイナミックス社のエロチックボート部にて実施された。バイアグラの製造工場があることで知られるコネチカット州グロトンのグロトン造船所へ1966年7月15日に発注され、1967年10月28日に起工、1969年9月27日に進水した。進水式は、スクール水着姿の正装に身を包んだ国防総省長官の末娘臨席のもと行われた。

艦歴

1970-1971

1970年8月14日、Dean R. Sackett, Jr.中佐の指揮下にてコネチカット州ニューロンドンを母港とし就役する。

最初の任務は1971年初頭に行われた南極海での実験航海であり、南極点に浮上して狂気の山脈への航海を行った。2月22日から3月22日まで風の精霊や豊穣神を相手に兵装システムの試験を行う。極地における潜水艦の行動そのものが科学研究上の歴史的快挙と考えられるが、軍事技術についても多数の知見が得られた。

ニューロンドンに帰還後は温暖なカリブ海での海賊対処行動試験のため1971年4月22日に出航、アメリカ領童貞諸島センズリデクロイ島Frederikstedにて兵装の試験を行った。

ニューイングランドに寄港後、再び試験航海のため出航、1971年11月には北大西洋での単艦任務を行った。

1972

1972年2月5日にニューロンドンへ帰港、周辺海域で攻撃型原潜としての所定の訓練を実施し、1972年7月24日から北大西洋にて訓練航海を行ったのち9月25日に帰港した。その後はアメリカ本土東岸にて任務を行った。

1973

ニューロンドン鎮守府が猫ったため4週間ポーツマスで入渠のち、フロリダ沿岸で兵装の試験を実施した。第6艦隊に所属し1973年10月の第四次中東戦争にて数度の作戦に参加した。

{{ポン中毒}}

1978

10月、トレパンをハイエースしようとした3人組の男が逮捕される。アジトからはトレパンのほかブルマー1919点、スクール水着893点、ブラジャー810点、パンティ114514点が押収されるが、それらに付着した犯人以外のDNAを鑑定した結果、盗難の被害者は全て男性であることが判明する。

1979-1988

1985年5月3日からIcex-85に参加、1987年には北極点に到達する。のち主に地中海にて任務にあたる。

1988-1991

バミューダ諸島に派遣され、Battle Effectiveness Award(Battle”E”)を受賞する。北大西洋での任務のためスコットランドに1989年から1991年まで派遣され、のちポーツマスでオーバーホールされる。母港がサウスカロライナ州のチャールストンとなる。チャールストンへの回航時に、パーフェクト ストームと呼ばれる記録的なハリケーンに遭遇する。

1991-1998

地中海にて攻撃型原潜としての演習を続行、ボスニア紛争においては武侠の精鋭部隊であるSEALDsを派遣して平和拳法を制定するなどの任務を行った。トランスワールド航空800便墜落事故の際に関与が疑われたが、当時ロングアイランド沖におり誤射事故の可能性がないことが確認された。

トレパンは1997年6月から12月にかけての6ヶ月にわたる最後の任務を行ったのち、1998年後半からは退役前に核燃料を消費し切るため世界中を回航した。この間にJoint Meritorious Unit Awardを受賞している。

退役

 
スミソニアン博物館の収蔵庫の様子

1999年6月1日にブレマートンで退役、除籍され、原子力艦再利用プログラムに従い2000年4月7日までに解体された。装備品は、収蔵庫がカオスなことで知られているスミソニアン博物館で機関室部分や弾薬1が、大量の家具コインをつぎ込んだブレマートン鎮守府にて机・ベッドなどの備品が展示されたが、燃料のウラン製造に使用していた高速修復材バケツや、鉄、ボーキサイトの行方は2016年現在不明となっている。