バンブービギン

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バンブービギン(欧字名:Bamboo Begin1986年4月19日 - 2012年7月28日)は、日本競走馬種牡馬[1]

バンブービギン
欧字表記 Bamboo Begin[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1986年4月19日[1]
死没 2012年7月28日(26歳没)[2]
バンブーアトラス[1]
フォローバンブー[1]
母の父 ノーザンテースト[1]
生国 日本の旗 日本北海道浦河町[3]
生産者 バンブー牧場[1]
馬主 竹田辰一[1]
調教師 布施正栗東[1]
厩務員 西村俊明[4]
競走成績
タイトル JRA賞最優秀父内国産馬(1989年)[1]
生涯成績 12戦5勝[1]
獲得賞金 1億8995万6900円[1]
勝ち鞍
GI 菊花賞 1989年
GII 京都新聞杯 1989年
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1989年のJRA賞最優秀父内国産馬である。主な勝ち鞍は、1989年の菊花賞GI)、京都新聞杯GII)。

1982年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬であるバンブーアトラスを父に持ち、父と同じ調教師主戦騎手が関わった。4歳5月に故障から復帰して初勝利を挙げて、以降3連勝。父が故障するきっかけとなった神戸新聞杯重賞初出走を果たし2着。続く京都新聞杯を優勝し、父が出走できなかった菊花賞でも優勝した。

生涯

デビューまで

フィールドバンブーは、1972年に北海道浦河町バンブー牧場で生産された牝馬である。竹田辰一が所有し競走馬として37戦5勝[5]。引退後は、バンブー牧場で繁殖牝馬となり、1978年に初仔の牝馬(父:ラナーク)を生産した[6]。2年目には、当初、バンブー牧場の竹田春夫場主が次に来る血統をノーザンダンサー系だと見越していたことから、当時、日高地方に繋養されていた唯一のノーザンダンサー系種牡馬・ミンスキーを交配するつもりであった[7]。しかし、ミンスキーが1977年に急死。代わりに社台ファームの導入した輸入新種牡馬ノーザンテーストを交配した[7]。1979年に生産された2番仔の牝馬は、フォローバンブーと命名され、同様に竹田辰一が所有し、競走馬として26戦4勝[8]。引退後は繁殖牝馬となり、初年度の1985年は同様に竹田辰一が所有した競走馬で、1982年の東京優駿(日本ダービー)を制したバンブーアトラスを交配した[9]

競走馬としてのバンブーアトラスは、東京優駿を勝利した後、菊花賞の前哨戦である神戸新聞杯出走時に故障して引退していた[10]。菊花賞への出走が叶わなかったことから、バンブーアトラスの管理調教師である布施正は、バンブーアトラスの仔で菊花賞を勝利することを決意[10]。布施は所属騎手で、バンブーアトラスの主戦騎手を務めた岩元市三に対し「市三、ワシはこの馬の子で菊花賞をなんとしても取りたい。それが叶うまで、この仕事はやめられん[10]」と宣言した。布施は竹田などオーナーの協力も取り付けて、自ら交配する相手を選択[10]。布施は1985年にフォローバンブーを選り抜いた[10]。1986年4月19日、北海道浦河町のバンブー牧場にて、鹿毛牡馬(後のバンブービギン)が誕生する[10]。竹田辰一の所有となり、竹田の用いる冠名「バンブー」に「ビギン」を組み合わせた「バンブービギン」という競走馬名が与えられ、栗東トレーニングセンターの布施厩舎に入厩した[1]

競走馬時代

1988年11月13日、京都競馬場新馬戦(芝1600メートル)でデビュー。父バンブーアトラスと同様に岩元が騎乗し、10頭立て7着、勝利したフレッシュナムラとは3秒差の入線であった[10]。その後は、2戦目の新馬戦で2着。以降、4歳となる1989年2月までに、京都、阪神競馬場小倉競馬場の未勝利戦に併せて4回出走。2着1回、3着2回、着外1回でデビュー6連敗とした[10]。その後は左前脚の管骨にヒビが入り、3か月の休養となった[7][10]

5月13日、京都競馬場の未勝利戦(芝2000メートル)で復帰。岩元が調教師試験に合格したため[注釈 1]、新たに南井克巳とのコンビを結成して参戦した[10]。スタートで出遅れるも巻き返して、後方に5馬身差をつけて初勝利[10]。それから6月4日、阪神競馬場の400万円以下では、第3コーナーから抜け出して後方に4馬身差の2勝目[10]。7月9日、やまゆりステークス(900万円以下)は、大外からまくり後方に3馬身半差をつけて連勝、3勝目とした[10]。この後、竹田は小倉への遠征を提案したが[7]、布施は「小倉に行く馬じゃない[7]」とそれを断り、目標を菊花賞に定め[10]、約3か月出走しなかった[13]

続いて9月24日の神戸新聞杯GII)に、単勝オッズ5.7倍の3番人気で出走[14]。中団から追い上げ、先に抜け出していた単枠指定・1番人気のオサイチジョージには3馬身半差をつけられて及ばなかったが[15]、一緒に追い上げたムービースターとの競り合いを制し、ムービースターに1馬身半先着する2着[15]。それから10月15日、菊花賞のトライアル競走である京都新聞杯GII)に単勝オッズ11.2倍の5番人気で出走[16]。オサイチジョージと、東京優駿の勝ち馬で秋始動戦となったウィナーズサークルが単枠指定制度の対象となり、2頭はそれぞれ単勝1、2番人気となった[7]。スタートから中団後方に控えたオサイチジョージの背後に位置して「徹底したマーク戦法」(久保房郎[7])を実行。最終コーナーでは大外から進路を見出して末脚を見せると、オサイチジョージや先行馬を差し切り、オサイチジョージに1馬身4分の1差をつけて勝利、重賞初勝利となり、菊花賞への優先出走権を獲得した[7]

映像外部リンク
  1989年 菊花賞(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

11月5日、菊花賞(GI)に、単勝オッズ3.8倍の1番人気で出走[17]。スタートで先手を主張するも控えて好位の6、7番手に位置[12]。最初の1000メートルは63.1秒、2回目の1000メートルは65.0秒で通過するスローペースが形成[11]。そんな中、最終コーナーで追い出して位置を上げて、外に持ち出した[11]。直線では末脚を見せると、先に抜け出していたレインボーアンバーを差し切り、後方に1馬身半差をつけて先頭で入線[12][11]GI初勝利となり、南井にとっては初のクラシック競走優勝であった[2]。その後について、布施は有馬記念としていたが[12]、出走することはなかった[13]

この年のJRA賞表彰では、有効投票172票中125票を集めて、JRA賞最優秀父内国産馬を受賞[4]JRA賞最優秀4歳牡馬選考では59票を集め、103票で受賞したウィナーズサークルの次点となった[4]。さらに美浦トレーニングセンター、栗東トレーニングセンター、JRA本部のハンデキャッパーが定める「フリーハンデ」では、東京優駿優勝馬のウィナーズサークルと並んで世代首位タイとなる「62」を獲得[18]。東京優駿優勝馬が原則として首位に格付けられていたが、ウィナーズサークルが制した良馬場で行われた東京優駿と、稍重馬場で行われた優駿牝馬(オークス)の決着タイムがほぼ同じであったこと、そしてウィナーズサークルが菊花賞で10着に敗れたことから評価を落とし、バンブービギンと同等に扱われた[18]。菊花賞優勝馬に「62」が与えられたのは、1977年のプレストウコウ、1978年のインターグシケン以来であった[18]。また、前年の菊花賞を優勝し「61」が与えられたスーパークリークとの比較においては、バンブービギンが前哨戦で勝利し、人気を背負った上で勝利を挙げたことが評価され、スーパークリークを「1」上回った[18]

5歳となった1990年は、天皇賞(春)を目指したが、骨折[19]。6歳となった1991年、高松宮杯で復帰する予定で調教を進んでいたが、屈腱炎が判明して断念し、競走馬を引退した[20][21]

種牡馬時代

6歳春から、北海道新冠町のCBスタッドで種牡馬となった[19]。年間40近い種付け頭数を集めたが、産駒は、名古屋優駿2着のトウカンイーグル[22]、サラブレッド大賞典を制するなど金沢競馬で活躍したリードジャイアンツ[23]がいるが、JRAの重賞勝ち馬は出せなかった[2]。2005年には種牡馬からも引退[24]。生まれ故郷のバンブー牧場に戻って余生を送り[2]去勢は実施されなかった[19]。2012年7月28日に老衰のため26歳で死亡[2]

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[25]およびJBISサーチ[13]に基づく。

年月日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ(人気) 着順 タイム
(上り3F/4F
着差 騎手 斤量
(kg)
勝ち馬/(2着馬) 馬体重

[kg]

1988.11.13 京都 3歳新馬 芝1600m(稍) 10 1 1 27.5(7人) 07着 1:41.6 (51.3) -3.0 0岩元市三 54 フレッシュナムラ 478
0000.11.26 京都 3歳新馬 芝1400m(良) 11 1 1 83.4(8人) 02着 1:26.2 (49.1) -0.4 0岩元市三 54 タニノジュニアス 480
0000.12.10 阪神 3歳未勝利 芝2000m(良) 12 7 10 10.6(5人) 09着 2:06.9 (49.7) -0.7 0岩元市三 54 リュウファルコン 484
0000.12.24 阪神 3歳未勝利 芝2000m(良) 16 7 14 28.3(13人) 02着 2:05.4 (49.2) -0.2 0岩元市三 54 カミノコウマン 480
1989.01.13 京都 4歳未勝利 ダ1800m(重) 10 6 6 05.8(3人) 03着 1:53.6 (50.5) -0.3 0岩元市三 55 クリフジリュウ 476
0000.02.11 小倉 4歳未勝利 芝2000m(重) 13 7 11 06.3(4人) 03着 2:07.6 (39.0) -1.0 0清水英次 55 セイントホーク 468
0000.05.13 京都 4歳未勝利 芝2000m(不) 18 3 6 10.1(6人) 01着 2:06.6 (50.5) -0.9 0南井克巳 55 (ユートベスト) 490
0000.06.04 阪神 4歳400万下 芝2000m(良) 11 7 9 02.2(1人) 01着 2:03.4 (48.4) -0.7 0南井克巳 55 (シゲルモンテ) 484
0000.07.09 中京 やまゆりS 9下 芝1800m(稍) 16 7 14 02.3(1人) 01着 1:48.2 (36.3) -0.6 0南井克巳 54 (エイシンファイヤー) 478
0000.09.24 阪神 神戸新聞杯 GII 芝2000m(良) 14 8 13 05.7(3人) 02着 2:00.9 (47.6) -0.6 0南井克巳 54 オサイチジョージ 494
0000.10.15 京都 京都新聞杯 GII 芝2200m(良) 15 4 6 11.2(5人) 01着 2:13.4 (47.0) -0.2 0南井克巳 57 (オサイチジョージ) 490
0000.11.05 京都 菊花賞 GI 芝3000m(良) 18 3 5 03.8(1人) 01着 3:07.7 (46.5) -0.2 0南井克巳 57 レインボーアンバー 490

血統表

バンブービギン血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 リボー系
[§ 2]

バンブーアトラス
1979 鹿毛
父の父
*ジムフレンチ
1968 鹿毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Dinner Partner Tom Fool
Bluehaze
父の母
バンブーシザラ
1969 鹿毛
*テスコボーイ Princely Gift
Suncourt
*シザラ Marsyas
Panagani

フォローバンブー
1979 栗毛
*ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
母の母
フィールドフブキ
1972 栗毛
*ダイハード Never Say Die
Mixed Blessing
トヨハタグモ *クレイマント
アトランタ
母系(F-No.) ウエットセール系(FN:9-b) [§ 3]
5代内の近親交配 Hyperion 5x5=6.25%、Nasrullah 5x5=6.25%、Lady Angela 5x4=9.38%(母内) [§ 4]
出典
  1. ^ [26]
  2. ^ [27]
  3. ^ [26]
  4. ^ [27]


脚注

注釈

  1. ^ 同1989年3月、調教師免許を取得。以降しばらくは、布施調教師に帯同し、バンブービギンの世話を行った。[11][12]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p バンブービギン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月28日閲覧。
  2. ^ a b c d e バンブービギン26歳老衰死 89年菊花賞V”. 競馬 - ニュース. 日刊スポーツ (2012年7月31日). 2019年8月28日閲覧。
  3. ^ バンブービギン”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月28日閲覧。
  4. ^ a b c 『優駿』1990年2月号 52-57頁
  5. ^ フイールドフブキ”. www.jbis.or.jp. 2021年11月9日閲覧。
  6. ^ 繁殖牝馬情報:牝系情報|フイールドフブキ”. www.jbis.or.jp. 2021年11月9日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h 『優駿』1989年12月号 136-137頁
  8. ^ フオローバンブー”. www.jbis.or.jp. 2021年11月9日閲覧。
  9. ^ バンブーアトラス”. www.jbis.or.jp. 2021年11月9日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『優駿』1989年9月号 104-105頁
  11. ^ a b c d 『優駿』1989年12月号 8-11頁
  12. ^ a b c d 『優駿』1990年1月号 126-129頁
  13. ^ a b c バンブービギン 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月28日閲覧。
  14. ^ 神戸新聞杯|1989年9月24日”. db.netkeiba.com. 2021年11月9日閲覧。
  15. ^ a b 『優駿』1989年11月号 146-147頁
  16. ^ 京都新聞杯|1989年10月15日”. db.netkeiba.com. 2021年11月9日閲覧。
  17. ^ 菊花賞|1989年11月5日”. db.netkeiba.com. 2021年11月9日閲覧。
  18. ^ a b c d 『優駿』1990年2月号 66-71頁
  19. ^ a b c 追悼~バンブービギン”. uma-furusato.com. 2021年11月9日閲覧。
  20. ^ 89年の菊花賞馬バンブービギンが死去”. www.keibalab.jp. 2021年11月9日閲覧。
  21. ^ 『優駿』1991年8月号 101頁
  22. ^ トウカンイーグル”. JBISサーチ. 2019年8月28日閲覧。
  23. ^ リードジャイアンツ”. JBISサーチ. 2019年8月28日閲覧。
  24. ^ 89年菊花賞馬 バンブービギンが老衰で死ぬ…26歳”. スポニチアネックス ギャンブル. スポーツニッポン (2012年7月30日). 2019年8月28日閲覧。
  25. ^ バンブービギンの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月28日閲覧。
  26. ^ a b バンブービギン 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月28日閲覧。
  27. ^ a b バンブービギンの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月28日閲覧。

参考文献

  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1989年9月号
      • 井上泰司(スポーツニッポン大阪支社)「【全調査 秋をめざす有力馬たち】伏兵馬をさがせ!? 4歳も古馬も新しいヒーローの誕生があるか!?」
    • 1989年11月号
      • 渡辺武夫(神戸新聞)「【今月の記録室】第37回神戸新聞杯(GII) オサイチジョージ」
    • 1989年12月号
      • 「【第50回菊花賞詳報】ダービー馬が生んだ。第50代菊花賞馬。父仔の夢がかなって、バンブービギン」
      • 久保房郎(KBS京都)「【今月の記録室】第37回京都新聞杯(GII)<菊花賞トライアル> バンブービギン」
    • 1990年1月号
      • 梶山隆平「【げっかん評論(西)】秋の主役はやっぱりオグリキャップ! マイルチャンピオンSで奇跡の差し脚」
      • 寺田文雄(デイリースポーツ)「【今月の記録室】第50回菊花賞(GI) バンブービギン」
    • 1990年2月号
      • 「【1989年度JRA賞】年度代表馬はGI3勝のイナリワン オグリキャップには特別賞」
      • 優駿編集部「【1989年度フリーハンデ決定】4歳 ダービー馬ウィナーズサークル、菊花賞馬バンブービギンともに62キロ」
    • 1991年8月号
      • 「【今月のトピックス】菊花賞馬バンブービギンついに引退。父仔三代のクラシック馬誕生に期待しよう。」

外部リンク