クリス・トーマスChris Thomas1947年1月13日 - )は、イングランド音楽プロデューサーである。

クリス・トーマス
Chris Thomas
出生名 Christopher P. Thomas
生誕 (1947-01-13) 1947年1月13日(77歳)
出身地 イングランドの旗 ミドルセックスブレントフォード
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1967年 -
共同作業者

略歴 編集

エルトン・ジョンとは同窓生であり、学生時代に共にバンドを組んでいた。のちにトーマスはジョンの多くのアルバムをプロデュースしている。

プロデューサーとしての活動のきっかけは、ビートルズのプロデューサーのジョージ・マーティンに手紙を書いたことだった。マーティンに認められて彼の傍らで働き、『ホワイト・アルバム』(1968年)にアシスタント・プロデューサーとして携わった[1]

それ以降、プロコル・ハルムピンク・フロイドジョン・ケイルロキシー・ミュージック[2][注釈 1]セックス・ピストルズポール・マッカートニープリテンダーズピート・タウンゼントエルトン・ジョンINXSパルプU2レイザーライトザ・ストライプストム・ロビンソン・バンドなどの作品のプロデュースを行った。

ビートルズのメンバーではジョン・レノンジョージ・ハリスンのファンだったらしく、解散後のメンバーの活動の中ではハリスンの作品を最も高く評価している。

トーマスは片耳の聴力が極端に弱いと言われている。実際、彼のプロデュース作品はステレオ感が希薄であるが、すべての音が中音域に密集してダンゴのように[独自研究?]耳に飛び込んで来るパンチの効いた音響処理が特徴である。

1974年、サディスティック・ミカ・バンドのセカンド・アルバム『黒船』をプロデュースした。その縁で知り合ったメンバーのミカと不倫に陥り、ミカはメンバーで夫の加藤和彦と離婚。サディスティック・ミカ・バンドは解散した。しかしトーマスはミカと結婚せず、数年で別れた。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ロキシー・ミュージックは1973年にセカンド・アルバムを制作する際、プロデュースをジョン・ケイルに依頼して、ケイルが指定したAIRスタジオを見に行き、プロコル・ハルムのプロデュース作業をしていたトーマスに出会った。その後、ケイルの都合が悪くなったのでトーマスが代わりを務め、『フォー・ユア・プレジャー』(1973年)を皮切りに4作のアルバムをプロデュースした。

出典 編集

  1. ^ Colin Larkin, ed (1992). The Guinness Encyclopedia of Popular Music (First ed.). Guinness Publishing. p. 2478. ISBN 0-85112-939-0 
  2. ^ Buckley, David (2004). The Thrill of It All: The Story of Bryan Ferry & Roxy Music. London: Andre Deutsch. pp. 113, 114, 116, 155, 196. ISBN 0-233-05113-9 

関連項目 編集

外部リンク 編集