U2

アイルランドのロックバンド

概要編集

U2は、奇跡のロックン・ロール・バンドと言われている。その理由は、1980年のデビューから現在に至るまで解散は勿論、オリジナル・メンバーの脱退や変更もなく活動しており、これまでに発表した作品は世界中のファンから支持されており数多くの賞を受賞しているためである。

中でもグラミー賞獲得数22作品は“ロック・バンド史上最多”となっている。 2005年には「ロックの殿堂」入りもしている[2]

世界に渦巻く社会問題を楽曲のテーマとしている。宗教紛争反核運動アパルトヘイトなどの人権問題、薬物依存症などについてメッセージ性の強い曲を発表、チャリティー・イベントにも積極的に参加している。特に、メンバーの中でボノはアフリカの貧困救済やアムネスティ・インターナショナルジュビリー2000ONE Campaignなどの慈善事業に深く関わっており、2006年にはアフリカの後天性免疫不全症候群(AIDS)対策プログラム支援ブランド「RED」を設立している[3][4][5]

また、コンサートの規模や動員数でも世界最大・最高のバンドであり、『Vertigo Tour』は2005年のコンサート収益1位を記録[6]。『U2 360° Tour』は、2011年のコンサート収益1位を記録し、“歴史上で最も成功したツアー”として認定されている[7]

なお、これまで1位となっていた記録も、同じくU2が1987年9月25日に〈Joshua Tree Tour〉のフィラデルフィア公演で樹立した86,145人となっており、U2自身が記録を塗り替えたこととなる。また、歴代動員記録の3位までをU2が独占しており、世界No.1のモンスター・バンドである彼らの人気を改めて窺わせる結果となっている。

その他、ピンク・フロイドやバックストリート・ボーイズが名を連ねる歴代5位までの観客動員記録リストは以下の通り。

〈米国での単独公演動員記録〉

1. U2:97,014人(2009年10月25日、カリフォルニア州ローズ・ボウル・スタジアム)

2. U2:86,145人(1987年9月25日、ペンシルヴァニア州ジョンF・ケネディ・スタジアム)

3. U2:84,754人(2009年9月29日、メリーランド州フェデックスフィールド)

4. PINK FLOYD:75,250人(1994年5月29日、オハイオ州オハイオ州立大学スタジアム)

5. BACKSTREET BOYS:73,337人(2000年2月19日、ジョージア州ジョージア・ドーム)


米経済誌フォーブス誌が2011年6月に発表した「世界中で最も稼いでいるミュージシャン」では、1億9,500万ドル(日本円に換算すると約156億円)になり第1位とされた[8]

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第22位にランクインしている[9]

トータル・アルバム・セールスは、1億7,000万枚超と言われている。

バンド名の由来編集

バンド名の由来については、アメリカの偵察機「U-2」、ドイツの潜水艦「II型Uボート」、「You too」(ファンへのシンパシーを表す)などの諸説がある。

しかし、メンバー自身が語るところでは「バンド名を決める際に挙げた候補の内、一番マシなものを選んだだけで、特に意味はない」とのこと。むしろ「U2」という無意味な言葉の解釈の自由こそが魅力と語っている[10]

ちなみに、1991年発表の『アクトン・ベイビー』収録曲の「ズー・ステーション」は、ベルリンに実在する駅名(ドイツ語でZoologischer Garten)で、この駅の路線名は「U2」である。

メンバー編集

来歴編集

バンド結成からメジャーデビューまで編集

1976年アイルランドダブリンのマウント・テンプル高校の掲示板にラリー・マレン・ジュニアがバンドメンバー募集の貼り紙を出した[11]。これを知ったポール・ヒューソン(ボノ)、アダム・クレイトン、エヴァンス兄弟(兄ディック、弟デイヴ(ジ・エッジ))が集まり、5人で活動を始めたのがバンド結成のきっかけである。当初のバンド名は「フィードバック(Feedback)」や「ハイプ(Hype)」を経て、ディックが脱退した1978年に「U2」と決まった。その後、リムリックで行われたLimerick Civic Week Pop '78というタレントコンテストで優勝、1979年にはCBSアイルランドアイルランドと契約して、「Out Of Control」「Stories For Boys」「Boy/Gorl」の3曲入りシングル「スリー」をアイルランド国内で1,000枚限定でリリース(イギリスでのリリースはレコード会社に断られた)し、IREチャートで19位に食い込む。そして1979年~80年にかけてイギリスとアイルランドで精力的にツアーを行った結果、ついにアイランド・レコードと契約を交わした[11]

1980年 - 1983年編集

 
ボノ(1983年)

1980年2月、アイルランド国内でシングル「アナザー・デイ」(Another Day)を発表。5月に契約したアイランド・レコードからシングル「11オクロック・ティック・タック」(11 O'Clock Tick-Tock)でデビュー[11]。スティーブ・リリーホワイトのプロデュースで1stアルバム『ボーイ』(Boy)を発表。

1981年には2ndアルバム『アイリッシュ・オクトーバー』(October

1983年に3rdアルバム『WAR(闘)』(War)を発表した。『WAR(闘)』のアルバムタイトルは母国アイルランドにおけるカトリックプロテスタントの宗教対立に対して、不偏の非暴力主義をアピールしている。アルバム収録曲の「ニュー・イヤーズ・デイ」(New Year's Day)はポーランド民主化運動独立自主管理労働組合「連帯」について取り上げた曲で、バンド初の全英シングルチャートトップ10入りとなった[12]。「ブラディ・サンデー」(Sunday Bloody Sunday)は北アイルランド問題の「血の日曜日事件」を取り上げ、アイルランド共和軍(IRA)の活動を批判する立場を示した。このため、IRA支持者から脅迫されたこともあったという。『WAR(闘)』はバンド初の全英アルバムチャート1位を獲得し[12]、バンドは多くの支持を集める結果になった。さらに、精力的なライブ活動などによりバンドの人気はイギリスヨーロッパ大陸のみならず、アメリカへと拡大した。

アメリカの音楽雑誌『ローリング・ストーン』誌は、U2を1983年度の「最優秀バンド」に選出している。 同年11月にはツアー最終公演地として日本を訪れ、初の日本公演を行った。来日時にはフジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演し、「ニュー・イヤーズ・デイ」を披露した。

社会問題や宗教観をストレートに表現する音楽スタイルは、当時のポストパンクニュー・ウェイヴ)と呼ばれた世代の中で異彩を放っていた。この初期3作品のディスクジャケットには、上半身裸の少年(ピーター・ローウェン[13])の写真が使用されている[14]

1984年 - 1989年編集

1984年、エチオピア飢餓救済を目指すバンド・エイドのチャリティーシングル「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」(Do They Know It's Christmas)にボノとアダム・クレイトンが参加。その後、ボノはアフリカ諸国の経済的自立を支援する様々な国際的プロジェクトに関与している。

1984年に4thアルバム『』(The Unforgettable Fire)を発表。原題の『Unforgettable Fire』とは広島・長崎への原爆投下を生き抜いた被爆者達が描いた絵画のタイトルで、絵画を見たメンバーが感銘を受けて名づけられたものである。シングル「プライド」(Pride (In The Name Of Love))はマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)へのトリビュート・ソングであり、全英シングルチャート3位のヒットとなった[12]。1985年にはウェンブリー・スタジアムで『ライヴエイド』に出演した[11]

1987年3月に5thアルバム『ヨシュア・トゥリー』(The Joshua Tree)を発表。 全英・全米チャート1位(全英アルバムチャート・Billboard 200)を獲得した[12][15]

「The Joshua Tree」はリリースされるや、たちまち世界中でNo.1ヒットとなり、中でもイギリス音楽史上最速で売れたアルバムとなっているが、未だにその偉大な記録は破られていない。

シングル「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」(With Or Without You)、「終わりなき旅」(I Still Haven't Found What I'm Looking For)はBillboard Hot 100で1位となり[15]、アルバムは世界的なヒット作品となった。また、ロビー・ロバートソンのソロ・アルバム『ロビー・ロバートソン』にメンバー全員が参加した。1988年にはアメリカツアーのドキュメンタリー映画『魂の叫び』を公開し[16]、同名のアルバムも発表。ボブ・ディランB.B.キングヴァン・ダイク・パークスらが参加した。先行シングルの「ディザイアー」(Desire)は初の全英シングルチャート1位を獲得した[12]。1989年には2度目の日本公演が開催され、スペシャルゲストにB.B.キングを迎えて行われた。

この時期の音楽スタイルはアメリカのルーツ・ミュージックに傾倒し、ロックの源流であるブルースゴスペルソウルなどブラック・ミュージックの要素が積極的に取り入れられた。

1990年 - 1999年編集

 
『ZOO TV TOUR』でのボノ(1992年)

東西ドイツ統一による影響のあるベルリンで制作されたアルバム『アクトン・ベイビー』(Achtung Baby)を1991年に発表。それまでのバンド・スタイルを大きく転換させ、ビッグ・ビートテクノなどの音楽ジャンルを取り入れた内容になっている。この点についてボノは「このアルバムは4人の男がヨシュア・トゥリーを切り倒している音だ」と述べている[11]。この音楽路線は、1993年発表の『ZOOROPA』(Zooropa)、1997年発表の『ポップ』(Pop)へと続いていく。1990年代以降ライブがより大規模になり、スタジアム・ロック・バンドとしての地位を構築していった。

1992年、グリーンピースセラフィールド抗議活動に参加し、放射線防護服を着てビートルズの『4人はアイドル』(Help!)のジャケットを真似るパフォーマンスを行った。

1993年に『ZOO TV TOUR JAPAN』と題して東京ドームで日本公演を開催。『ZOO TV TOUR』の最終公演となった。

1995年、映画『バットマン フォーエヴァー』(Batman Forever)に主題歌「ホールド・ミー、スリル・ミー、キス・ミー、キル・ミー」(Hold Me,Thrill Me,Kiss Me,Kill Me)を提供。また、ブライアン・イーノと「パッセンジャーズ」(Passengers)名義で制作したアルバム『パッセンジャーズ:オリジナル・サウンドトラックス1』(Original Soundtracks 1)を発表。オペラ歌手ルチアーノ・パヴァロッティがフィーチャーされており、ビル・カーター制作のドキュメンタリー番組『Miss Sarajevo』を元にサラエヴォ包囲について取り上げた「ミス・サラエボ」(Miss Sarajevo)はシングルカットされた。さらに、ボノとジ・エッジは映画『007 ゴールデンアイ』(007 GoldenEye)主題歌として「ゴールデンアイ」(GoldenEye)をティナ・ターナーに提供した。

1998年には『POPMART TOUR』で来日。3月6日にボノがテレビ朝日系報道番組『ニュースステーション』に生出演し、およそ15分間に渡るインタビューに答えた。同年秋には初のベスト・アルバムザ・ベスト・オブU2 1980-1990』(The Best of 1980–1990)を発表する。日本ではフジテレビ系列のドラマ『眠れる森』挿入歌に「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」が使用された。

2000年 - 2011年編集

 
『Elevation Tour』の様子(2001年)

2000年、ボノ原作でヴィム・ヴェンダース監督による映画『ミリオンダラー・ホテル』(The Million Dollar Hotel)が公開(日本公開は2001年)[17]サウンドトラック制作や主題歌「ザ・グラウンド・ビニース・ハー・フィート」(The Ground Beneath Her Feet)も提供した(サルマン・ラシュディ著の同名小説中の詩に曲をつけたもの)。同年秋にはブライアン・イーノとダニエル・ラノワを再びプロデューサーに迎えたアルバム『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』(All That You Can't Leave Behind)を発表。“原点回帰”とも言えるバンド感のあるサウンドになっており、世界的にヒットした。シングル「ビューティフル・デイ」(Beautiful Day)は、全英シングルチャート1位となった[12]。2001年には『Elevation Tour』を開催し、地元アイルランド公演はスレイン城で開催し8万人を集めた。

2002年、『第36回スーパーボウル』のハーフタイムショーに出演。2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件で犠牲者となった全員の氏名をスクリーンに映し、追悼の意を表した。同年秋にはベスト・アルバム『ザ・ベスト・オブU2 1990-2000』(The Best of 1990–2000)を発表。アルバムにも収録されている新曲「ザ・ハンズ・ザット・ビルト・アメリカ」(The Hands That Built America)が映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』(Gangs of New York)主題歌に起用された。

2003年9月から番組最終回となる2004年3月まで、テレビ朝日系報道番組『ニュースステーション』へ楽曲の使用許可を下し、オープニングテーマの「約束の地」(Where The Streets Have No Name)など、各コーナーでU2の曲が使用された。

2004年にはアルバム『原子爆弾解体新書〜ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』(How To Dismantle An Atomic Bomb)を発表。プロデューサーにスティーブ・リリーホワイトが復帰した。先行シングルの「ヴァーティゴ」(Vertigo)はアップルiPod」CMソング起用され[18]、全英シングルチャート1位となった[12]。また、iTunes Store限定で『ザ・コンプリート・U2』(The Complete U2)が音楽配信された。

 
『LIVE 8』出演時のボノ(右はポール・マッカートニー

2005年、「ヴァーティゴ」に続き「サムタイムズ・ユー・キャント・メイク・イット・オン・ユア・オウン」(Sometimes You Can't Make It On Your Own)が全英シングルチャート1位を獲得する。7月にはチャリティー・コンサート『LIVE 8』に出演した。メアリー・J. ブライジはアルバム『ザ・ブレイクスルー』でボノと「ワン」でデュエットしており、翌年にはシングルカットされて全英シングルチャート2位とヒットした[19]

2006年、レナード・コーエンLeonard Cohen)のドキュメンタリー映画『アイム・ユア・マン』(I'm Your Man)サウンドトラックにレナードとコラボレーションした曲「タワー・オブ・ソング」(Tower Of Song)を提供。同年秋には前年8月に発生したハリケーン・カトリーナで被害に遭ったニューオリンズのミュージシャン達を救うため、グリーン・デイと「セインツ・アー・カミング」(Saints Are Coming。オリジナルは1978年発表のザ・スキッズ)のカバー曲を発売。すべての収益を寄付した。また、ベスト・アルバム『ザ・ベスト・オブU2 18シングルズ』(U218 Singles)を発表。同年冬には8年ぶりとなる日本公演をさいたまスーパーアリーナで行った。これは、同年春に日産スタジアムで開催予定であったライヴが、「メンバーの家族の病気」という理由により延期されたため行われた振替公演であった[20]。来日時の11月29日にボノは安倍晋三(第90代内閣総理大臣)を表敬訪問し、総理へサングラスをプレゼント。アフリカの感染症問題に対する日本の貢献について高く評価し、今後も世界をリードすることに期待していると述べた[21]。また、TBS系報道番組『筑紫哲也 NEWS23』ではボノがインタビューを受けた。12月1日にはテレビ朝日系音楽番組『ミュージックステーション』にはバンドで出演した。日本のテレビ番組に出演するのはボノが8年ぶり、バンドとしては23年ぶりのことであった。

2008年、『Vertigo Tour』の模様を収録した3D映画U2 3D』を世界公開(日本公開は2009年)[22]

 
フォックスボロ公演でのボノとジ・エッジ(2009年)

2009年1月、バラク・オバマ大統領就任式祝賀コンサート』に出演[23]。キング牧師が「I Have a Dream」の演説を行ったリンカーン記念館で、「プライド」と「シティ・オブ・ブラインディング・ライツ」(City Of Blinding Lights)を披露した。2月にはアルバム『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』(No Line On The Horizon)を発表。その後『U2 360° Tour』がスタートした。8月にはジ・エッジがジミー・ペイジレッド・ツェッペリン)、ジャック・ホワイト(元ザ・ホワイト・ストライプス)と共演した映画『ゲット・ラウド ジ・エッジ、ジミー・ペイジ、ジャック・ホワイト×ライフ×ギター』が公開(日本公開は2011年)[24]。10月には『ベルリンの壁崩壊20周年記念式典』にバンドで出演しブランデンブルク門前でパフォーマンスした[25]。12月から公開された映画『マイ・ブラザー』(日本公開は2010年)主題歌として「ウィンター」(Winter)を提供した[26]

2011年、東日本大震災で被災された方々への支援を目的としたコンピレーション・アルバム『ソングス・フォー・ジャパン』(Songs For Japan)へ「ウォーク・オン」(Walk On)を提供する[27]。6月、ボノとジ・エッジが音楽を担当したブロードウェイ・ミュージカル『スパイダーマン:ターン・オフ・ザ・ダーク』(Spider-Man: Turn Off The Dark)が公開された[28]。また、前年にボノの負傷により出演キャンセルしたイギリスのロック・フェスティバルグラストンベリー・フェスティバル』にヘッドライナーとして出演した[29]

2012年 -編集

2012年、発売20周年を記念して2011年末にデラックス盤を含む複数種でリマスター再発売された『アクトン・ベイビー』(Achtung Baby)がBillboard 200で再び1位を獲得[15]。2013年にはネルソン・マンデラの著書を原作とした映画『マンデラ 自由への長い道』主題歌に「オーディナリー・ラブ」(Ordinary Love)を提供した。

2014年2月、配信曲「インヴィジブル」(Invisible)を発表。配信開始24時間限定で無料ダウンロードできた[30]。これは、バンク・オブ・アメリカが期間中ダウンロード1件につき上限200万ドル(約2億400万円)まで1ドルずつ「エイズ、結核、マラリアと闘う世界基金」に寄付を行うという取り決めになっていて、結果300万ドル(約3億600万円)を越える寄付金を集めることに成功したと報じられた[31]。5月、アメリカの楽器メーカーフェンダーは、ボノとジ・エッジが取締役に就任したと発表した[32]

9月、カリフォルニア州クパチーノで開かれたアップルのイベントにメンバーが登場し、アルバム『ソングス・オブ・イノセンス』(Songs of Innocence)を全世界のiTunes Store利用者に無料配信することが発表された[33][34][35]。5億人とも言われるユーザーに配信されたが、突如ライブラリに追加される仕組みにはユーザーの混乱を招き苦情もあったため、アップル側が削除ツールを公開する対策を講じた[36][37]。無料配信された10月中旬までにおよそ8,100万人のユーザーがストリーミングし、およそ1,600万人のユーザーがダウンロードしたとされている[38]。10月にはCD盤が発表された[39]

2015年、前篇後篇2部作となる映画『ソロモンの偽証』主題歌に「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」を提供[40]。日本映画へは初の楽曲提供となった[41]

ライヴの特徴編集

 
『ZOO TV TOUR』で照明として使用された「トラバント」

ライヴでは毎回異なるコンセプトでパフォーマンスを行い、独創的なステージセットやコンサートの規模、動員数、収益が話題となるバンドである。2006年にアメリカの雑誌『スピン』から「世界で最も良いライヴを行う25バンド 第1位」に選出されている[42]

1992年から1993年にかけて行った『ZOO TV TOUR』ではステージ上に巨大なテレビを多数設置し、パフォーマンスに合わせて異なる映像やメッセージを流した。また、ドイツ車「トラバント」を照明として使用したり、会場の中央にまで花道を置くステージ設計など、当時としては画期的なステージセットであった。ライヴ中にはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争下のサラエヴォを衛星中継で結び、包囲された市民の惨状を観客に伝えた。他には衛星中継でルー・リードと共演をしたこともあった。またMCでは、ボノが開催地のどこかへ電話をかけるコーナーがあり、フランスのミッテラン大統領(当時)、ドイツのコール首相(当時)、アメリカのホワイトハウスブッシュ大統領(当時)には繋いでもらえず)、大統領候補であったビル・クリントン(本人との会話に成功)などのほか、ピザ屋にピザ1万枚の宅配を注文したこともあった。1993年12月9日・10日に東京ドームで行われた日本公演では、初日が横綱(当時)、2日目は117番(NTT時報ダイヤル)相手に「マドンナにつないでくれ」と言っていた(マドンナは当時来日中だった)。

 
『POPMART TOUR』のステージセット

1997年から1998年に開催した『POPMART TOUR』では、高さ17m×幅51mの巨大スクリーンとミラーボール式のレモンのオブジェなど、総額約180億円もの費用をかけたスタジアム・ツアーとなった。ボスニア紛争停戦合意後の1997年には、北大西洋条約機構(NATO)平和維持軍監視下のサラエヴォで『POPMART TOUR』を開催。入場料収入の全額をボスニアの戦争孤児支援基金「ウォー・チャイルド」へ寄付した。

 
『U2 360° Tour』のステージセット

2001年に開催した『Elevation Tour』や、2005年から2006年に開催した『Vertigo Tour』では一見するとシンプルなステージに戻ったかのように見えたが、最先端の装置・照明・映像を駆使しており、バンドのこだわりが感じられる内容と演出になっていた。

2009年から2011年にかけて開催した『U2 360° TOUR』は、全110公演の興行収入が約7億3,614万ドル、観客層動員数が726万8,430人というこれまでに報道されたどのコンサートよりも高い数字を記録した。このツアーの成功で、改めてU2の世界的人気が根強いことを証明しただけでなく、通常よりも25%増しの観客を動員できる『ザ・クロウ』(The Claw、鉤爪)と名づけられた巨大なステージセット運営が成功したということになった[43]。  

受賞歴編集

1987年
1988年
1989年
  • ブリット・アワード「ベスト・インターナショナル・グループ」[46]
  • 第31回グラミー賞「最優秀ロック・パフォーマンス・デュオ/グループ」(「ディザイアー」)、「ベスト・パフォーマンス・ミュージック・ビデオ」(「約束の地」)[44]
  • ジュノー賞「インターナショナル・エンターテイナー・オブ・ザ・イヤー」[47]
  • MTV Video Music Awards「ベスト・ビデオ・フロム・ア・フィルム」(「ラヴ・カムズ・トゥ・タウン」)
1990年
  • ブリット・アワード「ベスト・インターナショナル・グループ」[46]
1992年
  • MTV Video Music Awards「ベスト・グループ・ビデオ」・「ベスト・スペシャル・エフェクツ・イン・ア・ビデオ」(「リアル・シング」)
1993年
  • ブリット・アワード「ベスト・ライブ・アクト」[46]
  • 第35回グラミー賞「最優秀ロック・パフォーマンス・デュオ/グループ」(『アクトン・ベイビー』)[44]
  • ジュノー賞「インターナショナル・エンターテイナー・オブ・ザ・イヤー」[47]
1994年
1995年
  • 第37回グラミー賞「最優秀ロング・フォーム・ミュージック・ビデオ」(『Zoo TV:ライブ・フロム・シドニー』)[44]
  • MTV Video Music Awards「インターナショナル・ビューワーズ・チョイス」(「ホールド・ミー、スリル・ミー、キス・ミー、キル・ミー」)
1998年
  • ブリット・アワード「ベスト・インターナショナル・グループ」[46]
2001年
  • ブリット・アワード「ベスト・インターナショナル・グループ」・「アウトスタンディング・コントリビューション・トゥ・ミュージック」[46]
  • 第43回グラミー賞「年間最優秀レコード賞」・「年間最優秀楽曲賞」・「最優秀ロック・パフォーマンス・デュオ/グループ」(「ビューティフル・デイ[44]
  • MTV Video Music Awards「ビデオ・ヴァンガード・アワード」
2002年
2003年
2005年
2006年
2007年
  • 第19回ワールド・ミュージック・アワード「ベスト・セリング・アイリッシュ・アーティスト」[51]
2011年
  • ビルボード・ミュージック・アワード「トップ・ツアリング・アーティスト」
  • Qアワード2011「特別アクト賞」[52]
2012年
2014年

ほか

ディスコグラフィ編集

来日公演編集

場所
JAPAN TOUR '83[54]
1983年 11月22日 フェスティバルホール
11月23日 瀬戸市文化センター(愛知県)
11月26日 渋谷公会堂
11月27日
11月29日 東京厚生年金会館
11月30日 中野サンプラザ
LOVE COMES TO TOWN TOUR WITH B.B. KING[55]
1989年 11月23日 横浜アリーナ
11月25日 東京ドーム
11月26日
11月28日 大阪城ホール
11月29日
12月1日
ZOO TV TOUR JAPAN[56]
1993年 12月9日 東京ドーム
12月10日
POPMART TOUR
1998年 3月5日 東京ドーム
3月11日 大阪ドーム
VERTIGO//2006 JAPAN
2006年 11月29日(振替公演) さいたまスーパーアリーナ
11月30日(振替公演)
12月4日(振替公演)

脚注編集

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  1. ^ a b c d U2 - ユーツー - キューブミュージック・2014年9月10日閲覧。
  2. ^ U2:The Rock and Roll Hall of Fame and Museum” (英語). ロックの殿堂. 2014年7月17日閲覧。
  3. ^ U2ボノ氏がエイズ対策のための新ブランド「RED(レッド)」設立を発表”. 世界基金支援日本委員会 (2006年1月). 2014年7月20日閲覧。
  4. ^ プロダクト(RED)”. 世界基金支援日本委員会. 2014年7月20日閲覧。
  5. ^ (RED)” (英語). 2014年7月20日閲覧。
  6. ^ U2、'05年米ツアー収益No.1!”. BARKS (2005年12月14日). 2014年7月17日閲覧。
  7. ^ ■U2■ 『360』が歴史上もっとも成功したツアーに”. ビルボード・ジャパン (2011年4月12日). 2014年7月17日閲覧。
  8. ^ [http://www.cinematoday.jp/page/N0033140 “世界中で最も稼いでいるミュージシャンはU2! レディー・ガガはショーのコスト高で水をあけられる、米フォーブス誌”]. シネマトゥデイ. (2011年6月18日). http://www.cinematoday.jp/page/N0033140 2014年7月17日閲覧。 
  9. ^ 100 Greatest Artists : U2” (英語). ローリング・ストーン. 2014年7月17日閲覧。
  10. ^ U2 BY U2. シンコーミュージック・エンタテイメント. (2006). ISBN 4-401-63041-6. 
  11. ^ a b c d e BIOGRAPHY - U2”. ユニバーサルミュージック. 2014年7月17日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g U2 discography” (英語). The Official Charts Company(OCC). 2014年7月17日閲覧。
  13. ^ ボノの友人でヴァージン・プルーンズ(Virgin Prunes)のメンバーでもあったグッギの弟。
  14. ^ 『WAR(闘)』以降のジャケット写真はアントン・コービンが撮影している。また、U2の写真集やミュージック・ビデオも手掛けるなど、主にビジュアル面での貢献が大きい。
  15. ^ a b c U2 | Awards” (英語). オールミュージック. オール・メディア・ガイド. 2014年7月17日閲覧。
  16. ^ 監督のフィル・ジョアノーは1999年公開の映画『ウィズアウト・ユー』(Entropy)でもU2を取り上げ、スティーヴン・ドーフがU2のPV監督という主人公を演じた。劇中では『POPMART TOUR』の模様が映り、ボノとラリー・マレン・ジュニアが本人役でカメオ出演している。
  17. ^ ヴィム・ヴェンダース監督はU2のミュージック・ビデオを撮影したり、U2がヴィム・ヴェンダース監督の映画主題歌を提供するなど関係が深い。
  18. ^ U2が自らの楽曲をCMソングに起用することを了承したのは、この時が初めてであった。
  19. ^ MARY J BLIGE | Artist” (英語). Official Charts Company(OCC). 2014年7月20日閲覧。
  20. ^ U2が来日公演を延期”. MTV JAPAN (2006年3月9日). 2014年7月17日閲覧。
  21. ^ 安倍総理の動き-U2ボノ氏の表敬-”. 内閣官房内閣広報室. 首相官邸 (2006年11月29日). 2014年8月15日閲覧。
  22. ^ U2 3D: The First Live-Action 3D Concert Movie, Featuring U2” (英語). 2014年7月17日閲覧。
  23. ^ バラク・オバマは民主党予備選時や大統領指名受諾演説時にU2の曲を使用していた。
  24. ^ 映画『ゲット・ラウド ジ・エッジ、ジミー・ペイジ、ジャック・ホワイト×ライフ×ギター』公式サイト” (日本語). 2014年7月18日閲覧。
  25. ^ ベルリンの壁崩壊から20年 U2らが公演”. RO69. ロッキング・オン (2009年11月6日). 2014年7月20日閲覧。
  26. ^ CD収録、音楽配信の予定なし 映画でしか聴けないU2の書下ろし新曲”. ORICON STYLE (2010年5月26日). 2014年7月18日閲覧。
  27. ^ U2、マドンナ、エミネム…世界的アーティストが日本のために集結!”. MTV JAPAN (2011年3月28日). 2014年7月17日閲覧。
  28. ^ ボノとエッジによる『スパイダーマン』のブロードウェイ版ミュージカル、大ヒットの兆し?”. RO69. ロッキング・オン (2011年6月30日). 2014年7月19日閲覧。
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参考文献編集

  • 『The U2 File』 ロッキング・オン、1992年12月ISBN 4-945799-22-7
  • ビル・グラハム著/川原真理子訳 『スーパーロックガイド/U2全曲解説』 シンコーミュージック・エンタテイメント、1995年11月ISBN 4-401-61513-1
  • スーザン・ブラック著/中野園子訳 『ボノ語録』 シンコーミュージック・エンタテイメント、1998年3月ISBN 4-401-61592-1
  • スティーブ・ストックマン著/尾崎梓訳 『U2 魂の歌を求めて WALK ON: THE SPIRITUAL JOURNEY OF U2』 岳陽舎、2004年12月ISBN 4-90773752-1 C0073。
  • 『スローガン「Artist file 10 U2 FILE」』 シンコーミュージック・エンタテイメント2005年4月ISBN 4-401-61913-7
  • ミーシュカ・アサイアス著/五十嵐正、上西園誠訳 『ボノ インタビューズ』 リットーミュージック、2006年4月ISBN 4-8456-1300-X
  • 和久井光司 『地球音楽ライブラリー U2』 東京エフエム音楽出版、2006年5月ISBN 4-88745-157-1
  • U2/前むつみ監訳/久保田祐子ほか訳 『U2 BY U2』 シンコーミュージック・エンタテイメント、2006年11月ISBN 4-401-63041-6
  • マット・マギー著/神田由布子訳 『U2ダイアリー/終わりなき旅の記録』 ブルース・インターアクションズ、2009年3月ISBN 978-4-486020-319-1。

 

関連項目編集

外部リンク編集

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