田島山十一ヶ寺(たじまさんじゅういっかじ)は、東京都練馬区練馬にある、浄土宗の寺院群。「練馬十一ヶ寺」とも。各寺院は、元は浅草にあった田島山誓願寺の塔頭であった[1]

田島山十一ヶ寺入口
入口から参道奥(墓地)方面を望む。

概要

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かつて浅草にあった誓願寺の塔頭寺院が、大正12年(1923年)の関東大震災の後、現在地へ移転したもので、通りの左右に11か寺が軒を連ねる。いずれも、寺号は誓願寺で、本山は知恩院である。なお、本寺の誓願寺は東京都府中市に移転した。

各寺院

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十一ヶ寺は、以下の通りである[2]

文化財

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史跡

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小野蘭山墓
小野蘭山墓は、当初、浅草にあったが、1927年昭和2年)に、迎接院が浅草から移ったことに伴い、現在の迎接院墓地内へ改葬された。墓石には、国学者屋代弘賢がまとめた事跡が刻まれている。墓誌銘にも事跡がある。東京都指定有形文化財(歴史資料)(「小野蘭山墓及び墓誌」として、2008年平成20年2月21日指定。東京都指定旧跡の「小野蘭山墓」(1924年大正13年)2月5日指定)を種別及び名称変更した。)および練馬区登録史跡(1988年(昭和63年)登録)
池永道雲墓
池永道雲墓は、当初、浅草にあったが、1927年(昭和2年)に、受用院が浅草から移ったことに伴い、現在の受用院墓地内へ改葬された。東京都指定旧跡(1932年(昭和7年)7月1日指定)。練馬区登録史跡(1988年(昭和63年)登録)。

その他

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澤村宗十郎墓
澤村宗十郎 (初代)澤村宗十郎 (3代目)(沢村田之助)、澤村宗十郎 (5代目)澤村宗十郎 (7代目)澤村宗十郎 (8代目)の墓が受用院にある。
著名人の墓
千葉周作(仁寿院)、青地宗白(医師)、植村淇園(儒学者)、燕栗園千寿(狂歌師)、岡部覚弥(日本美術院#正員。林宗院)、千金斉春芳(狂歌師)、土屋安親(奈良安親。林宗院)、岸本由豆流(林宗院)、小沢卜尺(俳人)、馬場存義(俳人)。
蕎麦喰地蔵
将軍延命厄難滅除蕎麦喰地蔵尊。元は西慶院にあり、昭和2年(1927年)から九品院。古くは武家の信仰も深く、将軍地蔵とも呼ばれた。

歴史

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  • 文禄3年(1594年) - 相模国小田原に、誓願寺が開祖。
  • 文禄年間 - そば喰い地蔵を、誓願寺境内に安置する。
  • 文禄4年(1595年) - 仮宿院が、音譽上人(春察)により三州刈谷土井家の菩提所として創建される。
  • 慶長元年(1596年) - 東誉上人徳川家康より神田豊島町(現在の須田町柳原付旧お玉ヶ池畔)に1万坪の土地を賜り、殿堂を移して元本坊誓願寺を建立した。このとき塔頭として仮宿院、得生院、徳寿院(現在は多磨霊園に移転)、西慶院(現在は九品院に合併)、快楽院を設けた。
  • 慶長4年(1599年9月 - 誓願寺塔頭として九品院開山
  • 明暦3年(1657年) - 明暦の大火により消失し、再び徳川家の命により浅草田島町に移転、本坊塔頭を建立し、新たに本性院宗周院、長安院、実昭院、長寿院を建立した。
  • この間徳川家の外護、特に桂昌院のための菩提として御朱印3百石および別院屋敷として麻布田島町(現在の北里研究所の地)等に土地を賜り、また代々本住職の牌所(隠居所)として仁寿院称名院等が塔頭として創立され、さらに常念仏道場として迎接院が創立した。
  • 元禄11年(1698年) - 塔頭として、快楽院、仁寿院、迎接院、林宗院、称名院、徳寿院、本性院、宗周院、得生院、西慶院、仮宿院、九品院、長安院、受用院、宝照院があった。
  • 享保年間(1716年-1736年) - 徳川家十人衆(当時の御用商人)並びに土井家、本多家、狩谷家が各塔頭を宿坊として外護に当った。各宿坊はそれぞれ有力な外護を持ったが、いずれも本坊の支配下にあり、各住職は本坊に輪番出勤する制度であった。
  • 天保年間(1830年-1843年) - 悪疫流行時には、門前市をなす程の盛況だった。
  • 途中、寺院の入れ替わりがあり、塔頭は16院となった。
  • 明治維新 - 改革により、御朱印地は、国に没収され、本坊の維持が困難となり、各院は本坊より別れて、各々ひとつの寺として独立し、従来の宿坊制度の各取次檀家は、各院所属の檀家となった。
  • 明治末年 - 西慶院が、九品院に合併される。
  • 大正12年(1923年) - 関東大震災により、全院が焼失。
  • 大正14年(1925年) - 関東大震災後の区画整理に伴い、本坊の誓願寺が、現在の府中市多磨霊園正門前)に移転。現在は、誓願寺と田島山十一ヶ寺に関係はない。
  • 昭和2年(1927年) - 墓地を現在地に移す。
  • 昭和3年(1928年) - 塔頭寺院(現在の田島山十一ヶ寺)が、田島町仮屋から現在地へ移転。

所在地

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  • 東京都練馬区練馬4丁目25および26

交通

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脚注

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  1. ^ 『練馬の寺院』練馬区教育委員会、2004年3月26日、19-20頁。 
  2. ^ 『練馬の寺院Ⅰ』練馬区教育委員会、1982年10月30日、15頁。 

関連項目

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外部リンク

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