白木秀雄

日本のジャズ・ドラマー、バンドマスター (1933-1972)

白木 秀雄(しらき ひでお、本名:柏倉 秀康[1][2]1933年1月1日 - 1972年8月22日[3])は、日本のジャズドラマー[1][2]

白木 秀雄
1960年、水谷良重と
基本情報
出生名 柏倉 秀康
生誕 (1933-01-01) 1933年1月1日
出身地 日本の旗 日本 東京府東京市神田区
死没 (1972-08-31) 1972年8月31日(39歳没)
学歴 東京芸術大学中退
ジャンル ジャズ
職業 ドラマーバンドマスター
担当楽器 ドラムセット
活動期間 1951年 - 1969年
事務所 渡辺プロダクション

経歴 編集

東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)の酒屋に生まれる。錦城中学校を経て東京芸術大学音楽学部打楽器科に入学(のちに中退)。白木が入学した年の芸大打楽器科の新入生は2名だけで、もう1人は指揮者岩城宏之であった。芸大在学中にキジ西村(西村喜次)の勧めでブルーコーツに参加し、ジャズ・ドラマーとしてのキャリアを開始した。

レイモンド・コンデとゲイ・セプテット、河辺公一とゴールデン・チャリオティアーズを経て、1953年に初のリーダーバンド、白木秀雄トリオを結成するが間もなく解散。小野満とフォアブラザーズ、与田輝雄とシックス・レモンズを経て渡辺プロダクションに所属し、1957年4月に白木秀雄クインテットを結成した。同年に制作された石原裕次郎主演の映画『嵐を呼ぶ男』では、石原のドラム演奏シーンにおいてドラムのアテレコを担当し、映画の主題歌『嵐を呼ぶ男』のシングル盤ではバック演奏も担当した(「白木秀雄とオールスターズ」名義)。

1959年には水谷良重と結婚し(1963年離婚)、時代の寵児としてマスコミを賑わせた。

1961年アート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズの初来日の際、ブレイキーとの初競演(ドラム合戦)を果たした。同年6月にスタートしたテレビ番組「シャボン玉ホリデー」には、所属する渡辺プロの共同制作番組であったこともあり、白木は頻繁に出演している。この番組の企画でクレージーキャッツハナ肇とドラム合戦も行った。

1962年5月、米のドラム・メーカーの招きで渡米。その際、以前から親交のあったホレス・シルヴァーとの共演を果たした。

1965年10月、ヨアヒム・ベーレント英語版の招きに応じて白木秀雄クインテットとしてベルリン・ジャズ・フェスティバル英語版に出演するが、帰国後、白木のわがままに耐え切れなくなったメンバーが次々に脱退した。新メンバーを迎えたものの仕事は激減し、クインテットは1968年5月に解散となり、同時期に白木は渡辺プロダクションから解雇された(メンバーチェンジ以降赤字続きだった)。

1969年頃にジャズ界から離れていたが[1]1972年9月1日、赤坂のアパートの自室で死亡しているところを発見された[1][2]行政解剖によると、死因は精神安定剤過剰摂取と見られ、発見された時点で死後10日ほど経過していた[3]

白木秀雄クインテット 編集

上述した脱退の影響もありメンバー経験者は多い。トランペットでは福原彰、小俣尚也、仲野彰、日野皓正テナーサックスでは宮沢昭松本英彦、村岡建、稲垣次郎ピアノでは八城一夫世良譲大野雄二ベースでは栗田八郎、稲葉国光などが参加していた。

2000年代半ばに再評価の機運が高まり、主要盤はほぼ再発売された。

ディスコグラフィ 編集

リーダー作品 編集

  • 『白木秀雄』 - Hideo Shiraki (King) 1958年(初リーダー・アルバム)
  • 『白木秀雄リサイタル』 - Hideo Shiraki Recital(1959年6月28日録音)(King) 1959年
  • 『祭りの幻想』 - In Fiesta (Teichiku) 1961年
  • 『プレイズ・ボッサ・ノバ』 - Plays Bossa Nova (King) 1962年
  • 『プレイズ・ホレス・シルヴァー』 - Plays Horace Silver (King) 1962年
  • 白木秀雄クインテット&スリー琴ガールズ, 『さくらさくら』 - Sakura Sakura(1965年11月録音)(SABA) 1965年(ベルリンにおいて録音)
  • 『白木秀雄・加山雄三の世界』- 白木秀雄クインテット(Toshiba)1966年
  • 『ファンキー!登場』 (Think!) 2006年

コンピレーション 編集

  • 『ステレオ・ドラム&ブラック・モード』 - Stereo Drum / Black Mode (Think!) 2006年
  • Play The Funky! (King) 2006年

脚注 編集

  1. ^ a b c d “敗残のドラマー、孤独の死 白木秀雄さん 赤坂のアパートで”. 朝日新聞: p. 11. (1972年9月1日夕刊第3版) 
  2. ^ a b c “「白木秀雄」孤独な死 自殺か、アパートで発見”. 読売新聞: p. 11. (1972年9月1日夕刊第4版) 
  3. ^ a b “精神安定剤の中毒死 白木秀雄さんの解剖結果”. 朝日新聞: p. 13. (1972年9月2日朝刊第22版) 

外部リンク 編集