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白銀大火(しろがねたいか)とは、1961年(昭和36年)5月29日午後11時40分ごろ、青森県八戸市白銀町で発生した大火である。白銀町大火ともいう。これは放火事件である[1]

概要編集

1961年(昭和36年)5月29日午後11時40分ごろ、同町大沢片平、水産加工業清水留吉方物置小屋付近から放火により出火、35mの強風に煽られ、白銀町から地区まで延焼した。

被害状況編集

午前2時ごろ東風にかわり、火は三島神社下から八戸線をまたぎ、白銀中学校の手前から八戸水産高校グラウンドまで達し、5時間に渡って延焼が続き、出火場所から鮫に県道を挟んで長さ1500m、幅200m、約30万m2を消失し、戦後最大級の災害となった。この火災による被害は、住家・非住家併せて700棟、1000世帯が全焼、被災者5000人、損害額は25億円(現在の価値で100億円[2])に上った。この火災により、白銀町の全戸数のうち70%が消失した。

復興事業編集

八戸市は「燃えない街づくりを推進する」国・県・市の復興計画と結びつき、都市計画道路、計画街路、遊園地、緑地帯などふんだんに取り入れた街として生まれ変わった。復興事業では青森労災病院などの国公立病院、八戸工業第一高等学校や、光星学院高校、八戸北高校などの公私立高校の新設、理想的住宅団地を目指した白銀台団地・岬台団地の造成などを計画的に行い著しく発展した。

脚注編集

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  1. ^ http://hachinohe-konjaku.blogspot.jp/2009/03/blog-post_15.html?m=1
  2. ^ 1961年(昭和36年)と2007年(平成19年)の当時消費者物価指数を比較)2005年(平成17年)の物価を対比

関連項目編集

参考文献編集

  • 楠美鐵二(1981)「青森県百科事典」東奥日報社