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盤石 力勝(ばんじゃく りきかつ、1834年天保5年〉[1] - 1875年明治8年〉10月15日)は、木瀬部屋錦戸部屋に所属した元力士江戸時代最後の新入幕力士である。

本名は古茶とのみ伝わっている(かは不明)。上総国市原郡(現在の千葉県市原市[2]出身。身長・体重は不明。

最高位は西前頭筆頭。

津藩のお抱え力士として[3]1857年11月場所で初土俵(二段目〈現在の幕下〉)を踏んだ。1863年7月場所で、西十両9枚目(十枚目格)に昇進。十両時代は5割程度の勝率だったこともあり、比較的ゆっくりと昇進を重ねていった。1867年6月場所で、新入幕を果たした(ちなみに前述の通り、江戸時代最後の新入幕力士となった[4])。その場所では6勝3敗1休の好成績を挙げ、幕内に定着した。幕内でも5割程度の勝率を保ち、1873年4月場所でも6勝2敗1休1分の好成績を挙げた。その後、1874年3月場所で西前頭筆頭に昇進するも、念願の三役を目の前にして体調を崩し、5割前後あった勝率が急降下。同年12月場所では初土俵以来初めて休場し、翌1875年4月場所では1勝5敗4休と不振に終わると、同年10月八坂神社京都市)で開催された「三都合併相撲(東京相撲・大坂相撲・京都相撲の合同試合)」に東京相撲の上段張出で出場していたが、期間中の10月15日脳卒中の発作を起こし、そのまま42歳[1]で急死した[5]

幕内通算 15場所 53勝49敗14分1預33休の成績を残した[2]

改名歴は2回ある:錦帯→錦川→磐石 力勝。

美男としても知られ、女性のファンも多かった。また美男を活かして錦絵も多く描かれ、2代歌川国政によって描かれた着物姿の錦絵が現存している[3][6]。錦絵の中には、津藩のお抱え力士だった為に、大小の脇差を二本差しにしている物もあったが、廃刀令により刀を取り除き、着物の紋を版木ごとすげ替えて、同じ大相撲力士の小ノヶ崎仙吉の錦絵として描かれた物もある。

出典編集

  1. ^ a b 1837年生まれという説もある。その場合は享年37になる。
  2. ^ a b http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3428&l=j
  3. ^ a b 参考 「津 磐石力勝」 着物姿三河國の大相撲錦絵場所、2006年6月9日記事。
  4. ^ 明治時代最初の新入幕力士は、綾瀬川山左エ門(元大関),鬼ヶ崎綱之助(元西前頭2枚目。のち初代立浪)の2人である〈両者とも元号が改まった1868年明治元年)11月場所に新入幕〉。
  5. ^ 二体の不動明王が立つ徳林寺(相撲記念館・史跡案内)
  6. ^ 磐石力勝(前頭)-相撲錦絵の世界

関連項目編集