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石城国造(いわきのくにのみやつこ)とは、7世紀前半に、現在の福島県浜通りのうち、いわき市北半分から大熊町までを統治した国造である。律令制度下の陸奥国石城郡(いわきのこおり)に当たる地域である。

目次

概要編集

先代旧事本紀』の巻十『国造本紀』によれば、成務天皇の時代、天津彦根命の子とされる建許侶命を国造に定めたことに始まるとされる。

『国造本紀』によれば、道奥菊多国造の屋主刀禰、道口岐閉国造の宇佐比刀禰、石背国造の建彌依米命、茨城国造の筑紫刀禰、馬来田国造の深河意彌命、須恵国造の大布日意彌命はみな建許侶命の子、師長国造の意富鷲意彌命は建許侶命の孫とされる。

しかし、『常陸国風土記』では、石城郡高国造が支配した常陸国多可郡から分割して成立したとの記述もあり、領域と支配氏族の系譜については文献により異同がある。

7世紀中葉には、道奥菊多国造(南隣)や高国造と合併して、多珂国を形成した。石城国造の領土について、北限は、『常陸国風土記』に記されている「陸奥国石城郡の苦麻の村」、即ち明治以後の大熊となっている。

氏神など編集

  • 大國魂神社(おおくにたまじんじゃ) - 磐城郡国魂郷(現在の福島県いわき市菅波字宮前26)に鎮座する。
  • 甲塚古墳(かぶとづかこふん) - 大國魂神社の東方200mに所在し、建許侶命を葬ったと伝えられる高さ8m・直径37mの円墳(国の史跡)。

子孫編集

関連項目編集