石濱 豊蔵(いしはま とよぞう、1861年 - 1910年)は、日本の実業家

人物編集

丸石製薬創業者で、石濱純太郎の父。淡路松帆(淡路市)の人。豊蔵の父は広瀬淡窓の咸宜園(大分県日田市)で漢学を、長崎で蘭学を学んだ勝蔵。豊蔵は、オランダ人薬学者のドワルスに製薬法を学んだ西山良造の門に入って製薬業を修得、明治21年(1888年)、大阪淡路町にガレヌス製剤の製造販売会社「丸石商会」を設立、明治35年(1902年)には大阪製薬同業組合初代組長となった。また明治30年(1897年)、10歳の純太郎を泊園書院(現・ 関西大学)に入学させる[1]

豊蔵の死後、会社は井上治兵衛が引き継ぎ、昭和11年(1936年丸石製薬株式会社となり現在に至っている。

親族編集

脚注編集

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  1. ^ 石濱豊蔵(いしはま・とよぞう 1861-1910)関西大学 東西学術研究所 2020年6月17日閲覧