福の神 サザエさん一家
『福の神 サザエさん一家』(ふくのかみ サザエさんいっか)は、1961年(昭和36年)3月28日に公開された日本映画である。製作は宝塚映画製作所(のちの宝塚映像)、配給は東宝。カラー、東宝スコープ。
福の神 サザエさん一家 | |
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監督 | 青柳信雄 |
脚本 |
笠原良三 蓮池義雄 |
原作 | 長谷川町子 |
製作 | 杉原貞雄 |
出演者 | 江利チエミ |
音楽 | 神津善行 |
撮影 | 西垣六郎 |
製作会社 | 宝塚映画製作所 |
配給 | 東宝 |
公開 | 1961年3月28日 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
前作 | サザエさんとエプロンおばさん |
概要
編集「『サザエさん』映画 10本記念作品」と銘打って製作されたシリーズ第10作目、かつ最後の作品となった。本作も前作『サザエさんとエプロンおばさん』同様、長谷川作品『エプロンおばさん』の主人公・敷金なし(三益愛子)との共演となる。
ストーリー
編集東邦商事に勤めるマスオが、次の人事異動で課長に昇進するかもしれないと噂が立ったので、母・舟の助言で、サザエは花村専務の家に出掛ける。そこで花村の息子タカシの相手をしていたサザエを見て、花村夫人はサザエが気に入り、自分が副会長をしている児童福祉会にサザエを推薦した。その頃、京都から東京へ移住してきたエプロンおばさんこと敷金なしは、貸本屋を開業したが、サザエが子供相手には無料でと解放したため、収入はゼロの有様。そこへ訪ねてきた山中老人。これまでフグ田夫妻を含めて650組の仲人をしてきたという話に、おばさんは驚く。彼女も650組の仲人を誇っていたのだ。二人は651組目を目指して競争となり、それに刺激されたサザエも、山中老人の孫娘・みゆきと、おばさんの息子・敷金一郎を見合いさせる事に成功、おばさんと山中老人は驚く。こうして、社会福祉や仲人役に専念するサザエのために、すっかり蚊帳の外となったマスオは、人事異動で課長の夢はパー、そのため、同僚の雲丹・梶木・鯖江らとやけ酒をあげて帰宅する有様。これを知ったサザエは、「妻はやはり家庭が大事」と反省し、主婦の立場に専念することとなる。
それから数日後、今日は山中みゆきと敷金一郎と結婚式。だがマスオはいつまでたっても現れない。だがその頃マスオは、花村専務から部長待遇で傍系会社に栄転することを聞かされ大喜び、大急ぎで式場に駆け付けたマスオからその話を聞いたサザエは、二重の喜び、さっそく仲人役を無事に務め、歌を歌ったのであった。
スタッフ
編集キャスト
編集同時上映
編集3本立て興行
以上の作品は、本作上映10日前の1961年3月18日に2本立てで上映したが、追って同年3月28日に本作と合わせて3本立てで上映となった。
外部リンク
編集- 福の神 サザエさん一家 - allcinema
- 福の神 サザエさん一家 - KINENOTE
- 福の神 サザエさん一家 - 文化庁日本映画情報システム