メインメニューを開く

成立の経緯編集

1868年11月末の解散総選挙英語版は、アイルランド問題に取り組むことを公約したグラッドストン率いる自由党の勝利に終わった。これにより保守党政権の第1次ディズレーリ内閣は新議会招集を待たずに総辞職した[1]

12月3日にグラッドストンはウィンザー城に召集され、そこでヴィクトリア女王より組閣の大命を受け、第1次グラッドストン内閣を組閣した[2]

主な政策編集

 
1868年、第一次グラッドストン内閣の閣議を描いた絵画(ロウズ・カトー・ディキンソン英語版画)

第1次グラッドストン内閣は内政面で多くの自由主義改革を実施した。まずカトリックの多いアイルランドにおける国教会を廃止し[3]、さらにアイルランド土地改革法(Landlord and Tenant (Ireland) Act 1870)によって小作農が理由なく、あるいは「法外な地代」によって強制立ち退きになった場合の補償について定めた(ただし同法はザル法に終わる)[4]

枢密院副議長英語版ウィリアム・エドワード・フォースター英語版の主導で1870年初等教育法英語版が制定され、小学校教育の普及が図られた[5]

官界・軍における貴族優遇を抑制すべく、外務省を除く全省庁で官僚の採用試験制度を導入し(外務省は外務大臣クラレンドン伯爵の反対により除かれる)[6]、また陸軍大臣エドワード・カードウェルの主導で将校階級買い取り制度が廃止された[7]

そのほか、選挙が有力者に操られないよう秘密投票制度を定めたり(1872年投票法英語版[8]労働組合法英語版を制定して労働組合に許される交渉範囲を拡大させたりした[9]

一方、外交面は不得手でプロイセン首相ビスマルクの後手に回ることが多く、普仏戦争を抑止できず、強力なドイツ統一国家ドイツ帝国の建設を許した。またロシア外相ゴルチャコフによるパリ条約破棄も阻止できず、ロシアの黒海再進出を許した。またアメリカに対してもアメリカ大統領グラントの要求を受け入れる形でアラバマ号英語版事件の損害賠償を支払うことになった[10]

総辞職の経緯編集

1873年にアイルランド大学改革法案に失敗したことをきっかけに、これまで行ってきた様々な改革への不平不満が自由党内から噴出。政権は分裂状態となり、グラッドストンの権威は低下した[11]。一方、野党保守党の党首ディズレーリはグラッドストンの弱腰外交を批判し、帝国主義政策を訴えて有権者の保守党支持を広げていった[12]

グラッドストンが希望していた所得税廃止の是非をめぐって自由党政権内は分裂し、グラッドストンは1874年2月に解散総選挙英語版に踏み切ったが、秘密投票制度が制定されたためにアイルランド農民票がこれまでの自由党ではなくアイルランド議会党英語版へ流れ、自由党の惨敗、保守党の大勝という結果におわった。これを受けて第1次グラッドストン内閣は総辞職し、保守党政権の第2次ディズレーリ内閣が発足した[13]

閣内大臣一覧編集

職名 氏名 在職期間
首相
第一大蔵卿
庶民院院内総務
ウィリアム・グラッドストン 1868年12月 – 1874年2月
大法官 初代ハザレイ男爵英語版 1868年12月 – 1872年10月
初代セルボーン男爵 1872年10月 – 1874年2月
枢密院議長 第3代ド・グレイ伯爵[注釈 1] 1868年12月 – 1873年8月
初代アバーデア男爵 1873年8月 – 1874年2月
王璽尚書 初代キンバリー伯爵 1868年12月 – 1870年7月
初代ハリファックス子爵 1870年7月 – 1874年2月
内務大臣 ヘンリー・ブルース[注釈 2] 1868年12月 – 1873年8月
ロバート・ロー英語版 1873年8月 – 1874年2月
外務大臣 第4代クラレンドン伯爵 1868年12月 – 1870年7月
第2代グランヴィル伯爵 1870年7月 – 1874年2月
植民地大臣 第2代グランヴィル伯爵 1868年12月 – 1870年7月
初代キンバリー伯爵 1870年7月 – 1874年2月
陸軍大臣 エドワード・カードウェル 1868年12月 – 1874年2月
インド担当大臣 第8代アーガイル公爵 1868年12月 – 1874年2月
財務大臣 ロバート・ロー英語版 1868年12月 – 1873年8月
ウィリアム・グラッドストン 1873年8月 – 1874年2月
海軍大臣英語版 ヒュー・チルダース 1868年12月 – 1871年3月
ジョージ・ゴッシェン 1871年3月 – 1874年2月
通商長官 ジョン・ブライト 1868年12月 – 1871年1月
チチェスター・フォーテスキュー 1871年1月 – 1874年2月
救貧法委員会委員長英語版 ジョージ・ゴッシェン 1868年12月 – 1871年3月
地方行政委員会委員長に改組
地方行政委員会委員長英語版 ジェームズ・スタンスフィールド英語版 1871年3月 – 1874年2月
ランカスター公領大臣 ヒュー・チルダース 1872年8月 – 1873年9月
ジョン・ブライト 1873年9月 – 1874年2月
郵政長官英語版 ハーティントン侯爵 1868年12月 – 1871年1月
後任者は閣外大臣
アイルランド担当大臣英語版 チチェスター・フォーテスキュー 1868年12月 – 1871年1月
ハーティントン侯爵 1871年1月 – 1874年2月
枢密院副議長英語版 ウィリアム・エドワード・フォースター英語版 1870年7月 – 1874年2月
貴族院院内総務 第2代グランヴィル伯爵 1868年12月 – 1874年2月

脚注編集

[ヘルプ]

注釈編集

  1. ^ 1871年にリポン侯爵に叙される。
  2. ^ 1873年にアバーデア男爵に叙される。

出典編集

  1. ^ 神川(2011) p.238-242
  2. ^ 尾鍋(1984) p.120-121
  3. ^ 尾鍋(1984) p.122-123
  4. ^ 神川(2011) p.250-252
  5. ^ 神川(2011) p.254
  6. ^ 尾鍋(1984) p.126-127
  7. ^ 神川(2011) p.255-257
  8. ^ 神川(2011) p.260-261
  9. ^ 尾鍋(1984) p.129-130
  10. ^ 神川(2011) p.269-270
  11. ^ 神川(2011) p.262-265
  12. ^ 坂井(1967) p.26-27
  13. ^ 神川(2011) p.275

参考文献編集

  • 尾鍋輝彦『最高の議会人 グラッドストン』清水書院清水新書016〉、1984年(昭和59年)。ISBN 978-4389440169
    • 新版『最高の議会人 グラッドストン』清水書院「新・人と歴史29」、2018年(平成30年)。ISBN 978-4389441296
  • 神川信彦『グラッドストン 政治における使命感』君塚直隆 解説、吉田書店、2011年(平成13年)。ISBN 978-4905497028
  • 坂井秀夫『政治指導の歴史的研究 近代イギリスを中心として』創文社、1967年(昭和42年)。ASIN B000JA626W
先代:
第1次ディズレーリ内閣
イギリスの内閣
1868年12月 - 1874年2月
次代:
第2次ディズレーリ内閣