篠原康弘
篠原 康弘(しのはら やすひろ、1959年〈昭和34年〉[1] - )は、日本の運輸・国土交通官僚。弟は自治・総務官僚の篠原俊博[8]。
篠原 康弘 しのはら やすひろ | |
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生年月日 | 1959年[1] |
出生地 | 日本・宮崎県宮崎市[2] |
出身校 | 東京大学[1] |
在任期間 | 2018年7月31日[3][4] - 2019年7月9日[5][6] |
国土交通省国際統括官 | |
在任期間 | 2017年7月7日[7] - 2018年7月31日[3][4] |
来歴
編集宮崎県宮崎市出身[2]。宮崎県立宮崎西高等学校理数科1期生[2]。理数科1期生として医学部などの進学を期待されていたが、在学中に理数系が苦手であった事に気づいて東京大学教養学部文科一類へ進学し[9]、東京大学法学部を卒業[1][2]。1983年(昭和58年)、運輸省へ入省[1][2]。
入省後、鉄道や観光、航空行政などに携わり[2]、鉄道局幹線鉄道課補佐官、国土交通大臣秘書官事務取扱、総合政策局国際観光課長、航空局航空事業課長、同航空ネットワーク部長、観光庁審議官、鉄道局次長、総合政策局次長などを歴任[1][2][10]。この間の印象深かった出来事について大臣の秘書官を務めた事を挙げており、当時国土交通大臣だった扇千景の反対の声もある中で思ったことを進める姿勢に「勉強になった」と振り返っている[2]。また、日本航空が破綻し再生する時期に航空事業課長、航空ネットワーク部長を務めており、ANAホールディングス会長の伊東信一郎と「いろいろ議論もし、飲みも、対決もあった」と述懐している[2]。
2017年(平成29年)7月7日、国土交通省国際統括官に就任[7]。
脚注
編集出典
編集- ^ a b c d e f 『篠原康弘』(PDF)(プレスリリース)東京大学公共政策大学院 。2022年1月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “国土交通省国際統括官に就任した 篠原康弘(しのはら・やすひろ)さん”. 宮崎日日新聞 (宮崎日日新聞社). (2017年7月25日) 2022年1月1日閲覧。
- ^ a b c “【国交省幹部人事】 事務次官に森昌文氏/菊地身智雄氏が技監”. 建設資料館 (建設データ). (2018年7月24日) 2022年1月1日閲覧。
- ^ a b c 『人事異動(第78号)』(PDF)(プレスリリース)国土交通省、2018年7月31日 。2022年1月1日閲覧。
- ^ a b c 『国家公務員法第106条の25第1項等の規定に基づく国家公務員の再就職状況の報告(令和元年10月1日~同年12月31日分)』(PDF)(プレスリリース)内閣人事局、2020年3月27日 。2022年1月1日閲覧。
- ^ a b 『人事異動(第65号)』(PDF)(プレスリリース)国土交通省、2019年7月9日 。2022年1月1日閲覧。
- ^ a b 『人事異動(第63号)』(PDF)(プレスリリース)国土交通省、2017年7月7日 。2022年1月1日閲覧。
- ^ “デジタル庁統括官に就任した 篠原俊博(しのはら・としひろ)さん”. 宮崎日日新聞 (宮崎日日新聞社). (2021年10月24日) 2022年1月1日閲覧。
- ^ “毎日フォーラム・霞が関ふるさと記 宮崎”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2019年2月8日) 2022年1月1日閲覧。
- ^ 『講演者略歴』(PDF)(プレスリリース)東京大学公共政策大学院 。2022年1月1日閲覧。
官職 | ||
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先代 奈良平博史 |
国土交通審議官 2018年 - 2019年 |
次代 栗田卓也 |
先代 奈良平博史 |
国土交通省国際統括官 2017年 - 2018年 |
次代 岡西康博 |
先代 奈良平博史 |
国土交通省総合政策局次長 2015年 - 2017年 |
次代 一見勝之 |
先代 土屋知省 |
国土交通省鉄道局次長 2014年 - 2015年 |
次代 志村務 |
先代 加藤隆司 |
観光庁審議官 2013年 - 2014年 |
次代 蝦名邦晴 |
先代 佐藤善信 |
国土交通省航空ネットワーク部長 2011年 - 2013年 |
次代 奥田哲也 |