紀元前391年(きげんぜん391ねん)は、ローマ暦の年である。

世紀 前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀
十年紀 前410年代 前400年代
前390年代
前380年代 前370年代
前394年 前393年 前392年
紀元前391年
前390年 前389年 前388年

当時は、「フラウウス、メドゥリヌス、カメリヌス、フスス、マメルキヌス、マメルキヌスが執政武官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元363年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前391年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法 編集

できごと 編集

ペルシア帝国 編集

ギリシア 編集

シチリア 編集

共和政ローマ 編集

中国 編集

  • 宜陽を攻撃し、六つの邑を取る。
  • 大夫田和が斉の康公の姜貸を海上の孤島に追放し、食邑として城を1つだけ与えられ、祖先の霊を祀ることとされた。

誕生 編集

死去 編集

脚注 編集

注釈

出典

関連項目 編集