脚気(かっけ、: beriberi)は、ビタミン欠乏症の一つであり、ビタミンB1(チアミン)の欠乏によって心不全末梢神経障害をきたす疾患である。心不全によって下肢のむくみが、神経障害によって、下肢のしびれが起きることから、脚気の名で呼ばれる。心臓機能の低下・不全(衝心(しょうしん))を併発したときは、脚気衝心と呼ばれる。最悪の場合には死亡に至る。

脚気 (Beriberi)
分類および外部参照情報
診療科・
学術分野
内分泌学
ICD-10 E51.1
ICD-9-CM 265.0
DiseasesDB 14107
MedlinePlus 000339
eMedicine ped/229 med/221
Patient UK 脚気
MeSH D001602

日本では、白米が流行した江戸で疾患が流行したため『江戸患い』と呼ばれた。大正時代には、結核と並ぶ二大国民亡国病と言われた。1910年代にビタミンの不足が原因と判明し治療可能となったが、死者が1千人を下回ったのは1950年代である。その後も1970年代にジャンクフード偏食によるビタミン欠乏、1990年代に点滴輸液中のビタミン欠乏によって、脚気患者が発生し医療問題となった。

目次

歴史編集

日本で、脚気が「いつから発生していたのか」は定かではないが、『日本書紀』に脚気の症状を呈する病の記述がある。元禄年間には、コメを精製する習慣が広まり、特に江戸で多く発生して「江戸患い」と呼ばれ、経験的に他の精白されていない穀物を食べた。明治時代に入り1870年(明治3年)には翌年にかけて脚気が流行。明治末までに6,500人から15,085人死亡したとみられる。

大日本帝国海軍で軍医の高木兼寛は、イギリス根拠に基づく医療に依拠して、タンパク質が原因だと仮定して、洋食、麦飯を試み、1884年(明治17年)の導入により、1883年の23.1%の発症率を2年で1%未満に激減させた。理論こそ誤っていたものの、疫学科学的根拠を得ていたということである。だが、当時医学の主流派は、理論を優先するドイツ医学を模範としていたことから高木は批判され、また予防成績も次第に落ち様々な原因が言われ、胚芽米も導入された。

これに対抗して、大日本帝国陸軍は白米を規範とする日本料理を採用、『明治二十七八年役陸軍衛生事蹟』によれば、死者総計の約2割、約4000人が脚気が原因であり、陸軍はその後も脚気の惨害に見舞われた。農学者の鈴木梅太郎は、1910年(明治43年)に動物を白米で飼育すると、脚気様の症状が出るが、米糠・麦・玄米を与えると、快復することを報告。

これを基に翌年、糠中の有効成分を濃縮し「オリザニン」として販売したが、医界においては伝染病説と中毒説が支配的であり、また医学界の外にあった鈴木が提唱したこともあって栄養欠乏説を受け入れなかった。1912年にポーランドのカジュミシェ・フンクがビタミンという概念を提唱したが、尚も国内の栄養説を俗説と蔑んだものの、外来の栄養説を後追いした。陸軍主導の調査会には、真因を追及する能力はなかったとも指摘される[1]。陸軍が白米を止め、麦3割の麦飯を採用したのは、海軍から遅れること30年の大正2年だった[2]

大正以降、ビタミンB1(チアミン)を含まない精米された白米が普及するとともに安価な移入米が増加し、副食を十分に摂らなかったため、脚気の原因が解明された後もビタミンB1の純粋単離に成功した後も、多くの患者と死亡者を出し、結核とならび脚気は二大国民病といわれた。ちなみに統計上の脚気死亡者数は、1923年(大正12年)の26,796人がピークであり、1915年(大正4年)から日中戦争の拡大と移入米の減少によって食糧事情が悪化する1938年(昭和13年)まで年間1万人~2万人で推移した。翌1939年12月1日、白米禁止と7分つき米が強制された。死者がようやく1千人を下回ったのは、ビタミンB1誘導体を主成分とするアリナミンとその類似品が社会に浸透する1950年代後半のことであった。

1975年(昭和50年)頃からジャンクフードの普及による栄養の偏りから脚気が再発した[3][4]。また、高カロリー輸液の点滴にビタミンB1を欠いたことから死亡を含む脚気の重症例が相次ぎ、1997年(平成)に厚生省は輸液に際してビタミンB1を投与するという通達を出した[5]アルコール依存症患者にも多い。2014年にも、高齢者が食品購入の不自由さから、副食を食べず白米のみを食す食生活でビタミンを摂取できず発症する例が報告されている[6]

病態編集

本症は多発神経炎浮腫(むくみ)、心不全脚気心、脚気衝心)を三徴とする。

分類編集

乾性脚気編集

多発神経炎を主体とし、表在知覚神経障害からしびれ、腱反射低下などを来たす。

湿性脚気編集

末梢動脈は拡張し、血管抵抗の低下から高拍出性心不全を呈して浮腫になる[7][要高次出典]

検査編集

膝蓋腱を弛緩させた状態で叩くと大腿四頭筋が収縮し膝関節が伸展する膝蓋腱反射は末梢神経障害の有無を見る。脚気の多発していた1960年代頃までは健康診断の必須項目であった。

特異な条件下の脚気編集

東大教授三浦謹之助ベルツと共著で書いた論文。「富士山頂の脚気」熱帯病全書2巻。気象学者の野中至(野中到) とその妻は、下界から隔絶された富士山頂での冬季観測時に脚気に罹った[8]

歴史上の有名死亡者編集

出典編集

  1. ^ 松田誠『脚気をなくした男 高木兼寛伝』講談社、1990年。pp.118-120,
  2. ^ 浅田次郎『パリわずらい江戸わずらい』小学館、2014年。pp.138-143.
  3. ^ 高橋和郎 「心拡大,高度浮腫を伴った急性多発性神経炎」『日本内科学会雑誌』Vol.64、 No.10、1975年10月、1140-1152頁。
  4. ^ 高橋和郎、北川達也「心拡大,高度浮腫を伴った急性多発性神経炎-続-その疫学ならびに成因としてのビタミンB1欠乏症」『日本内科学会雑誌』Vol.65、 No.3、1976年3月、256-262頁。
  5. ^ 藤山二郎、木ノ元景子、山村修、et al.「絶食患者におけるビタミン非添加末梢静脈栄養時の血中水溶性ビタミン濃度の変化」、『静脈経腸栄養』第22巻第2号、2007年6月25日、 181-187頁、 doi:10.11244/jjspen.22.181
  6. ^ 桑原昌則ほか、ショック, 意識障害をきたした高齢者のビタミンB1欠乏症 (脚気) の1症例 心臓 Vol.46 (2014) No.7 p.893-899
  7. ^ その他(Miscellaneous)シリーズ3 【症例 ME 15】 徳洲会グループ
  8. ^ 林栄子 2011, p. 376.

参考文献編集

関連項目編集