若松政和

日本の将棋棋士

若松 政和(わかまつ まさかず、1939年8月10日 - )は将棋棋士。2000年、引退。棋士番号は98。藤内金吾八段門下。兵庫県神戸市長田区出身。

 若松政和 八段
Wakamatsu masakazu shogi.jpg
2018年11月、姫路市で行われた人間将棋にて
名前 若松政和
生年月日 (1939-08-10) 1939年8月10日(83歳)
プロ入り年月日 1967年10月1日(28歳)
引退年月日 2000年3月31日(60歳)
棋士番号 98
出身地 兵庫県神戸市長田区
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 藤内金吾八段
弟子 谷川浩司井上慶太藤原直哉
段位 八段
棋士DB 若松政和
戦績
一般棋戦優勝回数 2回
通算成績 372勝499敗(.427)
竜王戦最高クラス 4組
順位戦最高クラス C級1組
2019年4月4日現在
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棋歴編集

1961年、アマ名人戦で優勝し、史上初のアマ六段となる。

1967年度後期の奨励会A組(三段リーグ)関西で優勝し、関東優勝の野本虎次との東西決戦で勝利してプロ入りをする。

1970年度、四段にして棋聖戦で本戦出場。

1971年度、第2回新人王戦において、決勝三番勝負で森安秀光を2-0で破って優勝。これが棋戦初優勝となる。同年度、古豪新鋭戦ではベスト4。

1976年度、第3回名棋戦においては、決勝で青野照市に勝って優勝。

1978年度、第19期王位戦でリーグ入り。

人物編集

  • 若松の師匠の藤内が坂田三吉の弟子であるため、若松は坂田の孫弟子の一人。
  • 1987年度 - 1994年度、日本将棋連盟理事を務める(1993 - 1994年度は、常務理事)。
  • 女流王位戦五番勝負のうち、神戸新聞社所管の対局の立会人を第1期から2018年の第29期まで務め続けている。当該対局が第4局以降に当てられることもあったが、すべて開催に至っている[1][2]

弟子編集

棋士となった弟子編集

名前 四段昇段日 段位、主な活躍
谷川浩司 1976年12月20日 十七世名人、竜王4期、名人5期、他タイトル18期、棋戦優勝22回
井上慶太 1983年2月4日 九段、A級在籍3期、棋戦優勝2回
藤原直哉 1995年4月1日 七段

(2022年5月26日現在)

昇段履歴編集

主な成績編集

通算372勝499敗

1992年、現役通算25年表彰

棋戦優勝編集

優勝合計2回

在籍クラス編集

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ 立会人は若松政和七段”. 女流王位戦中継Blog (2016年5月12日). 2019年1月30日閲覧。
  2. ^ 夕食会”. 女流王位戦中継Blog (2018年5月21日). 2019年1月30日閲覧。
  3. ^ 昇段・引退棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2019年4月1日). 2019年4月4日閲覧。

外部リンク編集